今回の旅の最後の目的地が、「アドリア海の真珠」とたたえられているドブロブニクです。オレンジ色の屋根が並ぶ旧市街は、高い城壁に囲まれて、その上を歩くことができます。でも1991年のユーゴスラビア連邦軍の攻撃で、「危機にさらされている世界遺産リスト」に載るほど破壊されたのに、1994年にはリストから削除されるほど復興が進められたそうです。
 そんなことも全く知らないまま、旧市街の建物に目を奪われ、観光2日目にその歴史を知るチャンスがありました。
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 この日、城壁や旧市街の観光は後回しにして、まず旧市街を一望できる標高412mのスルジ山に登ってみることにしました。登ると言ってもロープウェイです。

城壁の北側プジャ門を出てすぐのところに乗り場があります 
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4面がガラス張りなので、どこに乗っても景色が楽しめます

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城壁内の旧市街がだんだん遠ざかっていきます
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旧市街の反対側はのどかな山の景色
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上の展望台から見える景色
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 展望台から少し行ったところに、戦争のときに破壊された砦があり、そこがクロアチア紛争博物館になっています。このインペリアル砦は、1806年から1812年に建設されました。200年ちかく経った1991年から1995年のユーゴスラビア紛争時にも、この砦は破壊されず、防衛のシンボルだったそうです。

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入って右側の窓口で5ユーロ払います
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 セルビア軍がアドリア海の真珠・ドブロブニクを爆撃し始めた1991年の秋でした。10月1日、ドゥブロヴニクでは電気、水道、電話線など、すべてのインフラが切断され、セルビア軍の軍艦がこの町へのアクセスをも遮断しました。最悪の戦闘が12月6日に始まり、600発の手りゅう弾が町に投げ込まれ、2千発の砲弾がこのユネスコの世界遺産の町に落とされたそうです。1992年の初め、セルビア軍もう一度激しい攻撃を行いましたが、それはクロアチアの独立を阻止するためでした。この2回の攻撃で14000人が亡くなりました。

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説明文は英語も記載されています
全部読むのに時間がかかり、疲れました

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建物の中も、修復されていないところもあります

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 1991年10月、私は何をしていたのだろうと思い返してみましたが、このユーゴスラビア紛争の記憶はありません。そのときは次女を妊娠中で、ちょうどつわりがひどい時期だったので、あまりニュースを見ていなかったのかもと思いましたが、こんなひどいことが、この場所で行われていたのだと思うと心が痛みました。

 私たちは戦争を知らず、砲撃の恐怖が何かも知らず生きていますが、今、この瞬間にも世界で戦争に苦しむ人たちがいることに、無力感も感じます。人間はこれまでの戦争の歴史から、いったい何を学んできたのでしょうか。


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