コタキナバルでツアーに参加しなかった日は、半日程度観光して、後はショッピングセンターでお茶をしたり、アパートに戻って日本ドラマや映画三昧でした。
3日目にサパ州立博物館へ行くことにして、Google mapで検索すると、こんな感じ。これは徒歩のルートで35分なのに、車でもなぜかぐるっと回っていかなくてはならないようで22分。それなら歩こうと思い、アパートを出て大きな道路の歩道橋を渡ってピンク色のところに入ったところでびっくりした風景が目に入りました。
この反対側は大きなビルがあり、その奥に主要道路
ここのスラムはかなり広範囲で、上のピンク色にしたあたりは、ずっと同じような家が並んでいました。私が借りたアパートは、イマゴショッピングセンターというかなり大きなモールの向かいにあり、他にホテルやレストランもたくさんある場所です。そこから道路を渡り、少し歩いたところに、まったく違う世界があるとは考えもしませんでした。観光客が見るコタキナバルは、そこそこ都会で、道も整備され、大きなモールもあり、いわゆる物乞いの人も一度も見かけなかったのです。でもやはりどこでも貧富の差はあるのだなと実感しました。
Google mapが示したのは、この道。スラムの端だけど、本当にこの木の道を通っていいのだろうかと不安になりました。
その後は普通の道になったので、これで行けると思ったのに、上の地図の黄色い部分が、私有地らしく金網のドアが閉まって通れません!その横にあった工場の門番さんに聞いて、ぐるっと回ると行けるとわかりました。
大通りから見えたこの橋と入口。横にあったポスターっぽいのが、博物館らしいと行ってみると、ここから入れました。でも本当の入口はさらに300mほど先でした。
入って出迎えてくれるのが、クジラの骨格標本
それほど大きくない博物館で、他に展示もありますが、気になったものだけを紹介します。これは各部族の結婚衣装です。
この新郎新婦がくわえているものが、気になります
そして最後の衝撃は、首狩り族の展示
ボルネオ島には、首狩り族が住んでいました。もうその習慣は残っていないそうですが、第2次世界大戦中は、日本人たちはその部族のことを、人食い人種と思い恐れていたそうです。でも実際は、戦いになった違う部族の首を切り落とすことが、一人前の戦士としての証明だったそうです。そして持ち帰った頭は、上の写真のように飾りました。
それがその部族の文化だったとしても、20世紀になってもそんなことが行われていたということに、ショックを受けました。この写真は、単なる博物館の展示物ですが、当時の写真も展示されていました。
この博物館は外国人15リンギット、マレーシア人2リンギット。マレーシア人の子ども、55歳以上、障碍者の方は無料でした。