google-site-verification=O9h17fJGk1A5FQlfgyImCO5Z6jWMmyfZS9djnrInQjI

がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

ジュライホテル

もう1度チャイナタウンからジュライサークルへ

  この週末は友人との約束があり、楽しく過ごしました。その前日、オンラインの授業の後、どこへ行こうかと悩んでいました。家を出るのは10時半ごろなので、バンコクの外に行けないこともありません。でも先週のチャイナタウンツアーで「やり残したこと」という思いがありました。その上、ブログ友のかりびーさんが「めちゃくちゃ美味しい小籠包」を紹介されたので、それを読んだとたん食べたくなりました。



 ということで、たった2週間なのに3度目のチャイナタウンに向かいました。でも「やり残したこと」より食欲を満たすことにしました。

 バンコクに住んでいたころに一度ブログに書いたことがあるのですが、MRTワットマンコンからすぐ近くで、おじいさんがシュウマイを売っているところがあります。Pae Sia Dimsumというのですが、午後に通りかかっても、売切れて閉まっていることも多いのです。

 この日に行ったのは11時半ごろ。数人が並んでいるだけでした。そして以前はおじいさん一人でやっていたのに、今回もう一人おじいさんが増えていて、その人が注文を取り、お金を受け取っていました。昔からのおじいさんは、小さなシュウマイを丁寧にパックの中に入れていました。

IMG_9034

 ここは駐車場の入口みたいなところで、奥にテーブルが一台だけあります。そこに広げて、パクパク7、8個食べました。

IMG_9037

 次に向かったのがかりびーさんがおススメしていた「上海生煎包」。豚肉入りの小籠包が120バーツでした。この前に小さなシュウマイを食べていても、この4個はペロリと食べました。

IMG_9042

IMG_9043

 ただ最初の二つは上手にレンゲに乗せられず、少し破れて美味しい肉汁が少し流れてしまいました。あとの二つは紙をめくってレンゲに乗せるとうまくいきました。

IMG_9044

 まだまだ食べ物です。次も以前何度か行ったことのある「バミージャップガン」。きれいとは言えない路地とお店ですが、行ってみると持ち帰りの人がずらりと並んでいました。

IMG_9047

 この列で30分待ちました。たぶん外国人は誰もいなかったと思います。でもテーブルで食べる人は、直接、麺をゆでているところに行くと、すぐに渡してもらえます。

IMG_9048

狭い路地でこの火の大きさ、かなり暑かったです

IMG_9050

持ち帰って夕食にしました
これだと量がわかりませんが・・・

IMG_9067

お皿に盛ると、麺の多さがわかります
たぶん普通の1.5倍くらいあります

IMG_9068

食べ歩きの最後はここです
「Tang Bak Seng Antique Coffee」(陳木盛)

IMG_9053

ここは潮州人のお店です
前回書いたように「陳」を「Tang」と呼んでいるからです

昔風のミルクコーヒーにトーストでたったの30バーツ

IMG_9056

 そしてようやく「心残り」のところへ。ジュライサークルの「ジュライホテル廃墟」です。1階の一部だけが使われているようです。昔、写真の赤い看板の横が入口でした。

IMG_9061

まだエアコンの室外機も残っていました。そして「โรงแรม」(ホテル)の文字だけが残っています。ジュライホテルの名前は「July」で、それはこの場所が「July Circle」にあるからです。

IMG_9062

 かつては夜になると、売春婦と麻薬常習者であふれていたと言われるこのジュライサークルも、今、昼間はとても明るい雰囲気でした。それにGoogle mapに載っていたのですが、写真の右手の建物は、普通のホテルと、女性専用のホステルになっているようです。

IMG_9063

 かつてジュライホテルに沈没していた日本人は、もう60代後半以上になっているでしょう。ジュライホテルが消える前に、日本に戻った人もいるんでしょうか。それから30年、まだタイに居続けている人もいるんでしょうか。

 私はジュライホテルに泊まったのは1度だけでした。その時は好奇心だけで泊まりましたが、それ以後私はMBKセンター近くのソイカセームサンのホテルをよく利用しました。

 私が再びタイに頻繁に来るようになったのは2000年代後半です。さすがにそのころは中級ホテル以上に泊まるようになり、安宿というところからは足を洗いました。私のバックパッカー時代の1つの思い出が、廃墟となって残っていることに何か不思議な気持ちになります。


にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

中華街ウォーキングツアー②悪名高いマイトリーチット

  友人のお誘いで、急に参加させてもらったウォーキングツアーなので、どこをどんな目的で歩くのかも全く知らずに参加しました。ファランポーン駅から始まったツアーは、シークルンホテルを抜けて(本当にホテルの中を通り抜けさせてもらいました)、かつて「立ちんぼ通り」として悪名高い「マイトリーチット通り」に入りました。この通りからジュライロータリーにかけては、売春、麻薬がはびこっていました。

 ジュライロータリーには、1980年代から90年代半ばまで日本人宿として名を馳せた「ジュライホテル」がありすぐ近くに80年代始めに出版され話題になった「バンコク楽宮ホテル」がありました。そんな昔のことを話題にして、わかる人はもう60代以上だと思うのですが、カオサンがパックパッカーの聖地と呼ばれるようになる前は、このジュライサークルのあたりが、日本人パックパッカーのたまり場でした。

IMG_3151
 先生のお話にもジュライホテルの名前は出てきて、「私、1985年に泊まりました」というと、驚かれました。まだその時点では、安宿ではあったけれど、麻薬が充満しているようなところではなかったのです。

 1990年ごろからカオサンにバックパッカーたちが移り、残ったのが麻薬と売春から離れられない人たちでした。そしてジュライホテルは1995年に閉鎖され、今は建物だけが廃墟のように残っています。

 ちょっと余談が長くなりましたが、このツアーは、その危険な通りと言われたマイトリーチットを北上していきました。

 でもまず覗いたのが、「THE MUSTUNG BLU」というビルです。私は全く知らなかったのですが、フォトジェニックな場所として有名なホテル&カフェなのです。この建物は1900年頃に中国人の病院、銀行、売春宿として使われ、2019年にホテルとして改装、再オープンとなったそうです。

IMG_8723

 カフェで先生が見学のお願いをしてくれました。でも写真はダメと言われたのですが、言われる前に撮ってしまった人が、写真をシェアしてくれました。まあカフェを利用すれば、写真も撮らせてもらえるんでしょうけど。

IMG_8912
調べてみると、ホテルは一泊6500バーツでした

ここは質屋だったそうです
二つ扉が見えますが、左側はニセモノです
DEATH & TAXって、どういうことでしょうね

IMG_8725

1833年にタイで初めて作られたマイトリーチット教会

IMG_8727

この通りには半分廃墟に見えるような建物も残っています

IMG_8729

 先生がおっしゃるには、この細い路地が、この地域に住む住人たちのメインストリートだと言われ、全員が???となりました。

IMG_8730

 上の地図では、赤色でハイライトしているところで、この地域に住む子どもたちにとって「安全なところ」だったそうです。マイトリーチット通りに出てしまうと、麻薬の売人や、常習者もうろついて危ないので、この通りの中だけでが、子どもたちの遊び場でした。

 今は、多くの中国人がここから離れ、今はラオスやカンボジアからに移民が多いそうです。子どもたちが遊ぶこともなく、バイク置き場となっています。

IMG_8734

下から見上げたところ
IMG_8735

道の一番奥にあった祠
IMG_8736

少し道を戻って「San Chao Chit Sia Ma 七聖媽廟」へ

IMG_8745

IMG_8748

先生がおっしゃるには、これは天と結ぶコンピュータ
紙に願いを書いて燃やすと、その願いが天に届きます

IMG_8744

IMG_8749

 最後の廟の頃は、かなり疲れてきてメモも少なくなり、説明が書けません。情けないですが、中身が濃すぎてついていけなくなりました。


にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

プロフィール

nakko

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
読者登録
LINE読者登録QRコード
お問いあわせ