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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

ドブロブニク

クロアチア最終日、ドブロブニク旧市街を歩く①

 さて、いよいよ観光の最終日です。ドブロブニクからの飛行機は20時45分発。Airbnbのご主人が、またバスターミナルまで車で送ってくださるということで、17時にAirbnbに戻ればいいと言われました。まだ見ていない旧市街をゆっくり観光できます。
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 4ヶ月も経ってから旅行記をまとめようとすると、本当に大変だと実感したのがこの最終日です。ドブロブニク旧市街は、それほど広くないので十分歩いて回れます。でも一番メインのプラツァ通り以外は狭くて、どこもかしこも同じに見えてしまうんです。いくつかある教会(名前が大聖堂だったり修道院だったり)も、写真だけ見るとどこだかわかりません。

 ということで、おぼろげになりつつある記憶と写真を組み合わせて書いていますが、もし間違っていたらご容赦ください。

 最初に行ったのは、バス停に近いピレ門を入ってすぐ左手のフランシスコ会修道院。6ユーロですが、ドブロブニクパスで無料になります。
 最初は城壁の外にあったというこの修道院は、外敵から守るために14世紀にピレ門近くに移転したそうです。

病める人々を癒やす修道士の姿
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薬の調合をする場所
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博物館には宗教画も展示されています
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窓の下に不思議な穴があったので、よく見ると・・・
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1991年の砲撃の跡でした
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1667年の大地震後、建物は再建したそうですが、この中庭はそのまま残っています
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 修道院の一角には、1391年に開業したヨーロッパで3番目に古い薬局があり、今でも営業しています。天然ハーブのローションやクリームが人気だそうです。

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マラ・ブーチャ薬局
中で写真を撮らないでと書いてありました
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マリン・ドゥルジッチの家
20ユーロ ドブロブニクパスで無料
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 このマリン・ドゥルジッチは、シェイクスピアより1世代前に活躍したドブロブニク出身の劇作家だそうです。彼の喜劇は、ルネッサンス期の最高傑作といわれ、ヨーロッパ中で上演されているそうです。でも全く知りませんでした。

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劇の内容を知らないのが残念です
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ベッドが以外に小さくて、昔の人はそれほど大きくなかったのかなあと思いました
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 次に向かったのが海洋博物館です。かつての穀物庫を利用して作られています。入場料は8ユーロですが、ドブロブニクパスで無料です。

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ここも聖イヴァン要塞の中にあるので、大砲が残っています
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写真を見ても思い出せないんですが、たぶん収納ケースですよね
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海洋博物館らしく、船の模型がたくさん
好きな人にはたまらないのでしょうね
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Don't Touchですが、舵を切ってみたいと思いました
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 この博物館にいる間に、雨が降ってきました。そのため雨宿りを兼ねるのか、どんどん人が増えていきます。実はここで私は切羽詰まった問題が・・・。ここに来たときすでにトイレに行きたいと思ったのですが、最初は見つけられず、あきらめて外に出ようとすると、入口にむかって列が・・・。これがトイレに並ぶ人だったんです。ホントに助かったと思いました。

 この日、一番困ったのがトイレが見つからないことでした。確かどこかに公衆トイレが合ったのですが、それが2ユーロ。私はその時コインを持っていなかったんです。
 この日訪れた場所でトイレがあったのは、この海洋博物館と、午後から行った総督邸のみ。教会には一切ありませんでした。
 タイはお寺に行けばぜったい無料のトイレがあるので、トイレで困ることはほとんどありません。バンコクだと昔はMBKも有料でしたが、今はどこのショッピングモールも無料できれいだし。ヨーロッパはトイレを見つけるのが大変と聞いたことがありますが、ホントに実感しました。


雨がやみました 濡れた石畳も風情がありますね
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 クロアチア最後の食事は、やはりイカスミのリゾットが食べたくて、レストランのメニューを見て回りました。Castelloというレストランで食べたのですが、やはりスプリットで食べたリゾットのほうが、美味しかったです。

イカスミリゾット 20ユーロ
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 写真が多いので、続きはまた次回に・・・


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世界遺産と海を眺めながらの散歩 ドブロブニク城壁

 クロアチア紛争博物館の見学を終えて、またロープウェイで下に降りてきました。さあこの日は、ドブロブニク観光の目玉、城壁です。旧市街を取り囲む城壁は全長1940m、高さは最高25m、写真を撮りながらゆっくり歩いて、ちょうど1時間かかりました。
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門を通り抜けると、こんな狭い階段が続いています

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一番メインのプラツァ通り
午後4時を過ぎていたので、人はそれほど多くなかったです

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そのプラツァ通りの端にある城壁の入口から上がりました
城壁の遊歩道は一方通行です

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すぐ真下にオノフリオの大噴水が見えます

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城壁の外側に見えるのが、ロヴリイェナツ要塞
ここも見学できますが、翌日雨が降ったため行けませんでした

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ずっとこんな景色を見ながら歩きます

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城壁は登り下りもあり、ちょっとしんどかったです

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南側は海に面しています

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バスケットコートがあり、なんとなく学校っぽいかなと思うのですが・・・

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向かいにあるのはロクムル島
夏は旧港から1時間ほどのクルーズも出ているようです

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登ったと思ったら、また下って・・・

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海側の両サイドには、要塞があり、間に4つの砦があります
そこにはまだこんな大砲が残っていました

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観光客が多いので、砦にはこんな救急所もありました
まあ石畳なので、こけて怪我をする人もいるでしょうね

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東側の港にはグラスボートやクルーズ船が停泊していました

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東側の聖イヴァン要塞

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これも有名な建物なんでしょうが
まだ旧市街をじっくり歩いていないので名前もわからず・・・
(でも歩いた後もわからず・・・)

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北西角にあるミンチェタ要塞からは、旧市街とロクルム島がすべて見えます

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1周して戻ってきました
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 写真ばかりですが、雰囲気は感じ取っていただけたでしょうか。どこを見ても美しいとしかいえない景色を見ながらの散歩は、本当に素晴らしかったです。
 さてこの城壁の入場料はと言うと・・・なんと35ユーロ(今のレートだと5700円ほど)。でも旅行社向けにドブロブニクパスというのがあり、1日券35ユーロ、3日券45ユーロで、市内のバスが乗り放題、旧市街のいくつかの観光地も含まれているので、それを使えばまあ納得の金額でした。

ドブロニクパスのサイト  ←これ、ちゃんと日本語のサイトです

 前日のロープウェイは含まれていませんが、私は旧市街までバスで10分ほどの場所に泊まっていたので、3日用のパスはとてもありがたかったです。ネットで購入でき、eメールで送られてくるので、使いたいときから使えます。確か最初にQRコードを読み取られてから、72時間有効とのことでした。

 この城壁が今の形になったのは、15世紀から16世紀にかけての大工事によるものということですが、1667年の大地震のときもほとんど被害がなく、1991年の攻撃にも耐えた城壁の上を歩くのは不思議な気持ちでした。前日、旧市街の悲惨な写真を見ただけに、城壁の上から見る美しい町並みに、より一層感動を覚えました。


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アドリア海の真珠ドブロブニクの歴史に心が痛む

 今回の旅の最後の目的地が、「アドリア海の真珠」とたたえられているドブロブニクです。オレンジ色の屋根が並ぶ旧市街は、高い城壁に囲まれて、その上を歩くことができます。でも1991年のユーゴスラビア連邦軍の攻撃で、「危機にさらされている世界遺産リスト」に載るほど破壊されたのに、1994年にはリストから削除されるほど復興が進められたそうです。
 そんなことも全く知らないまま、旧市街の建物に目を奪われ、観光2日目にその歴史を知るチャンスがありました。
 (旅の目次はこちら

 この日、城壁や旧市街の観光は後回しにして、まず旧市街を一望できる標高412mのスルジ山に登ってみることにしました。登ると言ってもロープウェイです。

城壁の北側プジャ門を出てすぐのところに乗り場があります 
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4面がガラス張りなので、どこに乗っても景色が楽しめます

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城壁内の旧市街がだんだん遠ざかっていきます
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旧市街の反対側はのどかな山の景色
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上の展望台から見える景色
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 展望台から少し行ったところに、戦争のときに破壊された砦があり、そこがクロアチア紛争博物館になっています。このインペリアル砦は、1806年から1812年に建設されました。200年ちかく経った1991年から1995年のユーゴスラビア紛争時にも、この砦は破壊されず、防衛のシンボルだったそうです。

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入って右側の窓口で5ユーロ払います
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 セルビア軍がアドリア海の真珠・ドブロブニクを爆撃し始めた1991年の秋でした。10月1日、ドゥブロヴニクでは電気、水道、電話線など、すべてのインフラが切断され、セルビア軍の軍艦がこの町へのアクセスをも遮断しました。最悪の戦闘が12月6日に始まり、600発の手りゅう弾が町に投げ込まれ、2千発の砲弾がこのユネスコの世界遺産の町に落とされたそうです。1992年の初め、セルビア軍もう一度激しい攻撃を行いましたが、それはクロアチアの独立を阻止するためでした。この2回の攻撃で14000人が亡くなりました。

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説明文は英語も記載されています
全部読むのに時間がかかり、疲れました

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建物の中も、修復されていないところもあります

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 1991年10月、私は何をしていたのだろうと思い返してみましたが、このユーゴスラビア紛争の記憶はありません。そのときは次女を妊娠中で、ちょうどつわりがひどい時期だったので、あまりニュースを見ていなかったのかもと思いましたが、こんなひどいことが、この場所で行われていたのだと思うと心が痛みました。

 私たちは戦争を知らず、砲撃の恐怖が何かも知らず生きていますが、今、この瞬間にも世界で戦争に苦しむ人たちがいることに、無力感も感じます。人間はこれまでの戦争の歴史から、いったい何を学んできたのでしょうか。


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