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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

実家の片付け

実家は大掃除より断捨離

 今日は娘の顔を見せに、母のところへ行きました。ついでLDKを片付けて、お正月に弟夫婦、長女夫婦、私たち3人と母で8人が座れるようにしなくてはと思っていました。でもまず食卓の上に、毎月送られてくる茶道の本が10冊以上山積みになっており、母に「読んでるの?」と聞いてもいいかげんな返事。もう今の母は、じっくり本を読むのも面倒なのかもしれません。

 「寝室にある本も捨てていいよね?」と私は2階の母の寝室へ上がり、その間、次女に母の相手をしてもらいました。まあこれで見に来ることもないので、私も気楽に片付けられます。それでも時々一階に降りて行くと、「何もかも捨てんといてや」と不満顔。多分、捨てられたものに気づかないだろうになあ。

 2年前に母の寝室はかなり片付けたけれど、見るとベッドの下にモノが突っ込まれ、またホコリをかぶっていました。茶道関連の雑誌も今年のもの以外は全て紐でくくり、ワケのわからない小物は捨て、貰い物のハンカチセットやバッグは、私がバザーかエコリングに持っていけばいいかとどんどん仕分け。

これが今日の努力の成果
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 とりあえずベッド下と、3段ボックスの2段分を片付けただけで2時間半もかかり、なんだかグッタリしてしまいました。でも母の部屋には、昔私が使っていたライティングデスクもあり、それを開いてみると、わけのわからない紙類がびっしり入っていました。これも来年には何とかしたいと思うのですが・・・

 夕方になり、珍しく弟がやってきました。母のガラケーのsimカードを変える必要があるとハガキが来て、母の電話からかけなくてはならないとのこと。でも会えたので、少し事務連絡的なことを話せてよかったです。お正月だと他の家族もいるので、話しにくいこともあるので。

 母はまだ一人暮らしはできていますが、記憶力はかなり曖昧になってきているので、予定は全てカレンダーに書き込んで、カレンダーにはもう隙間もありません。来年用には、たくさん書き込むスペースのあるカレンダーをダイソーで買い、持ってきました。

 母の物忘れにどれほどイライラしてもどうしようもないことはわかっています。でもまた冷蔵庫はドアが開けると、ものが落ちてくるほどパンパンで、冷凍庫もお正月用だというシャブシャブ肉が2kg近く入っているのには、ありがたいとは言えため息が出ました。

 母の家を見るたびに、自分のモノをもっと減らそうという気持ちになります。我が家もまだまだ不要なモノがあふれています。

ゴミの写真だけでは悲しいので、ケアンズで撮った花の写真を
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実家の片付け 父(元両親)の部屋

 台所を片付けた後、何だか次に進めなくなっていた。1階のダイニングキッチンと続き間の応接間(母はこう呼んでいる)はある程度片付けて、人が来ても入ってもらえる程度になった。2階は3部屋あるのだが、かつての私の部屋、弟の部屋は母の部屋となり、両親が使っていた和室が父の部屋となっていた。

 8月に父の服や外に出ていた小物類は片付けたが、大昔からある和ダンスの小引き出しと、上に置いてある棚が残っていた。でもその和ダンスも2段は母の着物が入っている。まず上の棚には卒業証書をいれるような筒が十数本あり、自分の卒業証書はすべて持っていったはずなのと不思議に思いながら中身を確認した。するとそれはすべて父のものだった。ほとんど住んでいる市から頂いた地域貢献への感謝状だった。

 仕事をしている頃から地域の役員をしていたので、たしかに何十年も市に貢献してきたのだろう。でもたぶん家族のだれもこんな感謝状を見せてもらったことがなかった。筒は即処分することにして、その感謝状は弟にも見せ、写真に撮ってから処分することにした。

 次に和タンスの小引き出し。出てきたものを見て唖然とした。弟と私の幼稚園の出席ノートから高校までの通知表がすべて残っていた。自分のものは、ちらりと見ただけですぐにビリビリ引き裂いてゴミ袋へ。弟のは一応取っておいた。今度会った時に渡してあげよう。

 タンスの後は押し入れの引き出し。ここはほとんど母のものだった。母は昔洋裁をやっていて、小学校低学年までの私の服は、ほとんど手作りだった。確か初めてタイへ行って買ってきたタイシルクもツーピースにしてもらった。そんな端切れや、いろいろな布が残っていたのだ。これはすべてリユースをしてくれる友人のところへ持っていくことにした。

 そして最後に箱ごと残っていて、驚いたのが次の写真。箱には「松坂屋お誂え」と書いてあった。

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 もちろん私には記憶はないが、おそらくお宮参りとかお食い初めのときに来た衣装だと思う。いやーもう60年前以上前のものをよく取っている事。でもこれらも、写真に撮ったので箱ごと明日は普通ごみ行き。

 父の部屋といいながら、結局、昔の私たちのものや母のものがかなり置かれていた。でも他の2部屋よりはマシなので、とにかくこの部屋をきれいにして、自分が泊まるときにちゃんとお布団を敷けるようにしたい。今はいちいち2階から布団を1階の座敷(母がお茶を教えていたので、ここだけ家具は何もない)に持っていって寝ている。

 タイから戻った時は、11月中にすべて断捨離を終えてしまいたいと思っていた。でもそれはあまりにも無謀な計画だった。娘に怒られたこともあるし、母に捨てるという気持ちを少しずつ植え付けていくためには、1,2年は必要だ。まあまた来年春になってから断捨離を再開しよう。


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実家の断捨離③ 悪夢の床下収納庫

 お盆に長女に怒られて以来、実家の片付けは少し中断していた。でも少し涼しくなったので、金曜日午後の普通ゴミの日に向けて、昨日午前中から実家へ来た。ダイニングキッチンで、一番大物の冷蔵庫は最初に片付けた。かなりの食品を捨てたが、もうそれは仕方がない。そしてコンロ前の棚の中身と、その前に立つスペースがないほどモノが置かれた床も、かなり片付けた。
 
    この前少し顔を見せた弟も、「ずいぶんさっぱりしたなあ」と言ってくれたが、まだキッチンの足元には、かなり大きな床下収納庫が二つもある。確かあそこに、缶詰やお酒や、何かわからないものが隙間がないほど詰まっているはずなのだ。 

 そう今回の目的は、この床下収納庫。というのは、我が家にも床下収納庫が一つあり、この5年間、夫は一切使っていなかったらしく、モノはそれほど多くはなかったが、かなりひどく汚れていたのだ。それを掃除するのに、確か2時間くらいかかった。だから実家の床下収納庫は、うんざりするほど汚れているのだろうなあと思っていた。 

これが一つの収納庫から出てきた缶詰
上から賞味期限が先のもので並べている
缶詰なので2021年までは食べられるだろうと判断 し左下は全て処分 

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 これ以外に二つの収納庫に入っていたものは、大きな瓶の梅酒、もう何十年も前に伯母がくれた自家製奈良漬(処分して瓶を洗うのも大変だった)、ほとんど焦げ茶色で触ると豆腐のようにつぶれたラッキョウ酢漬け(誰が作ったかもわからない)、未開封のワイン13本。母がいうには、冬になると少し飲むらしいが、その中には私が20年前のオーストラリアのお土産で買ったものと7、8年前にエアーカナダに乗ったとき、買ってきてあげたアイスワイン2本セットも残っていた(お母さん、アイスワイン大好きって言ってたやんか)。

 そしてかつては整理好き、きれい好きだった母の名残を感じたのが、きれいに洗って中にキッチンペーパーの切れ端が入った空き瓶。母は朝食がパンなので、ジャムやハチミツを欠かせない。他の瓶もあったが、とにかくそんな空き瓶が60個ほど、そして500mlとか750mlくらい瓶に入った、かつては梅ジュースか何かであったものが数本。。実はすでに冷蔵庫を整理した時、20個ほどのあきびんを処分したので、母は90個もの瓶を貯め続けていたのかとびっくりした。

 私はそれをすべて持ち帰って、今ラベルを取るために水につけている。明日はこのビンとカンを収集日にだすための作業で半日かかりそうだ。

 すべてを出した床下収納庫は予想通りひどい汚れだった。あの家を建てたのは確か35年ほど前で、それから何度掃除したんだろう。少なくとも20年以上は上からモノを詰め込むだけで、何もしていないに違いない。

 砂とほこりとゴキブリの糞にうんざりしながら拭きとって、最後にマイペットで全部を拭きなおした。そして床下には、2023年以降に賞味期限が切れる缶詰類と、母が昔作った梅酒や口の空いた日本酒(ホントに飲むのかなあ)だけを入れたので、どちらの収納庫もガラガラだ。でもこれでいい。下からモノを取るのは、母にはもう危険だから。

 右下の大人用おむつは、父の部屋に残っていた。これは近くの介護センターがもらってくれるとのことで、来週持っていくつもりだ。でもそれ以外は、今回出たゴミ。ビン2袋、缶1袋は持ち帰って処理するが、それ以外8袋は、実家の普通ごみで出した。

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 今朝まで片づけをしていたので、昼前にゴミを出したらへとへとだった。ということで、昼は母と外食。もう当然母のおごりだ。
 
 実家から車で5分ほどのところに、和食中心のランチをやっているカフェを見つけた。毎週メニューが変わるそうで、肉か魚のメインを選ぶことができる。
 私は手羽先のポテト包み焼というのを選んだのだが、意外にさっぱりして美味しかった。ランチは肉でも魚でも1100円。ボリュームもありお腹も一杯になった。

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 この前、娘に怒られたので、ある程度は気をつけているつもりだが、それでもやはり言い方がきつくなったり、どうしても頭の回転も悪くなった母なのに、理詰めでがんがん説明しようとして、うんざりされている。

 台所については母もあきらめたようだが、2階のかつての私の部屋のシーツやタオルの山を見た私が言う。
「お母さん一人でこんなにタオルやシーツもいらんよね。」
「でも〇〇(娘の名)やあんんたが泊まりに来ることもあったから。」
一体それはいつの話だ。私でさえ、ベッドの下が埃だらけの部屋には泊まりたくないのに、娘が泊まるわけがない。私は今回は、茶室に使っている座敷に布団を敷いて寝た。

「ここに泊まるのは、私かおばちゃん(母の姉)くらいでしょ。それも法事の時だけ。だから来年の3回忌だけやって。」(だってその次の7回忌は、もう伯母は90を超えるので、来れるとは思わない)。

「私が死んでから片付けろって言われても、お母さんがあと10年生きたら、私も72歳やねんけど。その年でこんな片付けができると思う?」

 言いたくなかったが、これが本音だ。母は基本的に健康なので、本当にあと10年くらいは大丈夫なような気がする。まあ認知症のほうが心配ではあるが。でも70を超えて、あのモノだらけの実家の片付けなんて、気が狂いそうだ。

 ホントは自分の家ももっと片付けたい。でも夫の部屋(かつての姑の部屋)の手出しができない。もう半分以上使っていないタンスも処分したらと夫に言ったら、「ホントに家を売るか引っ越すときでいいやろ」とか言ってる。その時も誰が中心で片付けるんだよー。

 大体自分が中心で片付ける気がないから、母も夫も気楽なことばかり言うから、ついカチンとくる。そのため、最近の私は実家でも家でもあまり機嫌がよろしくない。そんな自分が嫌になり、ますますストレスがたまり悪循環だ・・・。


 
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実家の断捨離② 母に自分の老後を重ねるとつらい

 どうしてこれほどたくさんの印刷物が残っているのだろう。昨日も書いたが、証券会社の運用報告書、保険会社の年末調整に来る書類、市役所から来る後期高齢者保険の関する通知、銀行からはマイナンバーを届けて欲しいというお知らせ。

今日私が整理した紙と本
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 ほとんどに母の名前や住所が入っているので、その部分を切りとって、ビリビリ破いてゴミ袋に。紙として再生できるものは、30cmほどの高さになったら紐でくくる。その作業をずっと続けていると、もう母に口をききたくなくなる。

 冷凍庫の中身をごっそり捨てたら、それを見て文句を言う。「全部を捨てたら、また買ってこなあかんやん。」
冷凍庫、ちゃんと見てよ。まだお母さんが2週間以上食べられるものが残ってるよ。
片付けている私に向かって言う。
「私も昔、おばあちゃんの所へ片付けに行ってたわ。まだおばあちゃんは60過ぎやったけど。」
そう、じゃあお母さんはその時まだ40前でしょ。私もう62歳ですけどね。

 ただこれを全部言い返すと、母が不機嫌になるので、それなりに遠慮して言わなければならない。でもだんだん腹が立ってきて、ついきつく言ってしまい、今度は自分が自己嫌悪におちいる。
 
 そして私が不機嫌になると、片付けを手伝っていないのに、すぐ「あーしんどい。もう86歳やからなあ。めまいもするし。」と言っている。私もずーっと片付けていて、ほんとにしんどいんですけど。

 でも本当に自分でもわかっている。あれほど好奇心が強くて、元気だった母が、「しんどいしんどい」と言うのを聞くのが嫌なのだ。次女から手紙が来たので、返事を書いたらと勧めても、なんかしんどいと、書こうとしない母に腹が立つし悲しくなる。新聞はかろうじて読んでいるが、毎月届く茶道の本は、全く読んでいない。

 たぶん私は怖いのだ。母の姿に自分の老後を重ねるのが。今の私は好奇心も強く、体力も気力もある。でも母が言うように75歳を過ぎると、それがどんどん衰えていくのだろうか。

 テレビ番組でも見たことがあるが、実家の断捨離というのは、本当に一大事だ。でもモノがあふれた家は空気も澱んでくる。どの場所でも溢れているモノに気力を吸い取られるような気になる。その上片付けても、誰からも感謝されないのだ。
 あーだめだ。完全に愚痴だけのブログ。どなたか断捨離のコツを教えてください。

ゴミの写真だけでは悲しいので、チェンマイのプーピン離宮で撮った写真を
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実家の断捨離①冷蔵庫

 何度も書くが、私の帰国理由は母だ。夫は一人暮らしでも平気なので、タイと日本が行き来でき、お互いに年に2,3回1ヶ月ほど一緒にいればいいと思っている(はずだ)。

 母はまだ一人で普通の生活をすることができる。食事を作り、洗濯をし、庭の水撒きもしている。そして目のつく範囲の掃除もしている。でもそれは目先のことだけで、整理整頓はできなくなっている。

 もともと買い物が好きな人だった。幼い頃に戦争体験もしているせいか、生活が楽になった私の中学時代の頃からは、冷蔵庫の中はいつもたくさんの食料が入っていた。弟も私も結婚して、父と二人暮らしになっても、いつも大型冷蔵庫を使っていた。そして今の冷蔵庫は500L以上入るものだ。

 5年前、タイに来る前にかなり冷蔵庫を整理した。棚ごとに分類し、100均で買ってきた取っ手付きのケースに入れて、中身を書いたシールを貼った。当時は父も元気だったので、父だけが使うものは分けてケースに入れた。

 コロナ前の一時帰国の時は、それほどゆっくり実家に戻ることもなかったので、冷蔵庫はあまり見ないままだった。そして今回、冷蔵庫を開けてみて唖然とした。開けた瞬間に、いくつかのものが落ちてきた。あまりにもいっぱいで、それがどこに入っていたのかわからない。

 元々、冷凍庫が満タンなのは知っていた。でもショックだったのは、野菜室であるはずの一番下の大きな引き出しが、いろいろな物に埋め尽くされ、野菜なんて片手分のスペースしか占めていなかったことだ。

 本当によくここまでほっておいたものだと、言葉を失った。でも弟や義妹を責めるわけにはいかない。母は、一応一人で何でもしているのだから、口を出しても言い訳が返ってくるだけだ。

 でも娘の立場は強い。私は3日間ほどかけて(と言っても一回3,4時間)、冷蔵庫から大量の食品(だったもの・・・もある)を処分した。たぶん45Lのゴミ袋で5袋は捨てたと思う。一番大変だったのは、何かが入ったビンだった。合計40個以上のビンを家に持ち帰り、ゴミの日の前日に中身を出して、ビンを洗った。

 まだ許せるものとしては、2年前に賞味期限の切れたジャム、去年のサケフレーク、いつのかわからない塩こぶや佃煮(これらは、腐った臭いではなかった)。でも泣きたくなるのは、母が好きなスモークサーモンと玉ねぎのオリーブオイル漬け。1袋を買って食べきれずオイル漬けにして、作ったことも忘れてしまったのだろう。これが4瓶もあった。

 冷凍食品は、一番上にあったもの以外は、ほとんど日付も確認せずに捨てた。いちいち確認していたら、私の身が持たない。食べ物を無駄にするな、お米は一粒も残すなと小さい頃に叩き込まれたが、そんなことを言っていたら、母の冷蔵庫は一生片付かない。

 冷蔵庫や冷凍庫に、未開封のコーヒー豆やお茶がたくさんあった。母はずっと茶道、華道を家で教えていたので、お弟子さんたちに出す必要もあったし、また貰い物も多かったと思う。未開封なら味は落ちても飲めるだろうと、それらは我が家の冷凍庫へ移動した。

何とか見られるようになった冷蔵庫上段
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 今回気づいたことは、中身がすぐ見えないカゴに入れてしまうと、母はすぐに忘れてしまうので、その整理は逆効果だ。すぐに食べる必要があるものは、目線の位置になる棚に集めた。そして母には、「この3段目から、毎日何かを食べてね」と言っておいた。

 母の冷蔵庫の整理をして、私自身もバンコクの家の冷蔵庫は最後まで一杯だったなと思い出した。だからチェンマイにダンボールで一箱分の食料を送るハメになったのだ。冷蔵庫に詰めまくるのは遺伝かもしれない。

 今の家の冷蔵庫は、まだそれほど詰まっていない。以前より調味料も減ったし、一度に買ってくる量も減った。以前はフルタイムで働いていたので、どうしても買いだめが必要だったのだ。でも毎日が日曜日の身としては、必要なものだけ少しずつ買いに行けばいい。

 実家の断捨離はまだまだ続く。同時に自分の家も断捨離中なので、帰国以来私の生活のかなりが、物を整理し捨てることに費やしている。タイとも旅行とも関係のないトピックで、興味のない方に、読んでいただいて申し訳ないが、還暦を過ぎた世代には親の家の片づけは誰でも必要になるときも来るので、もし興味を持ってもらえたらうれしいと思う。
 

 
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