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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

手術後

術後8ヶ月 [2019/12/03]

 手術後、本当にあっという間に8ヶ月が過ぎた。術後2ヶ月半で完全に仕事復帰し、その後も問題なく仕事を続けることができている。ただ、以前にも書いたが、授業が本格的に始まると咳が出やすくなり、今回も授業開始3週目で、やはり咳が気になるようになった。

 日本で撮ったCTには何も問題はなかったので、この咳はやはり声を出し過ぎて、負担がかかっているのだと思う。でも教師という仕事柄、声を出さないわけにはいかない。この前の一時帰国で日本製のノンシュガーのど飴を5袋も買ってきたので、それで乗り切るしかない。

 手術前には、週一回1時間のランニングをしていた。流石にそこまで戻すのはまだまだ時間がかかりそうで、最近はせいぜい5分歩いて5分走るというサーキットトレーニングを1時間続けることが精一杯だ。しかも走る速度も以前より少し遅い。

 手術直前に行ったネパールトレッキングは本当に素晴らしかった。その時に、夫と、もう一度3年後くらいに、トレッキングに挑戦したいねと話をした。今のままでは到底無理なので、そのためには少しずつ走る距離も伸ばしていかなくてはならない。

 そうやって自分を励ます反面、やはり再発するのではないか、他にまたがんができるのではないかと、心の奥でずっとおびえている。1Aという早期発見で術後、普通の生活を取り戻している私でも、そんなおびえを感じている。世の中には、もっと厳しい戦いをしている人もたくさんいるのに、こんなことでは情けないなあとも思う。

 そして12月に入って、少し悩んでいることがある。タイに来てから、クリスマスの頃に、クリスマスとお正月のご挨拶を兼ねた便りを、年賀状代わりに友人たちに出してきた。いつもなら近況や新年の抱負を書いてきたのだが、今年は手術のことを書くべきかどうか迷っている。

 今のところ家族とかなり親しい友人にしか手術のことは話していない。ただ、このブログを始めたのは、同じような経験をした方の何らかの手助けとなればいいと思ったからだ。そう考えると、同世代の友人たちに伝えるのは当然だとも思う。

 2人が1人ががんになる言われている今の時代、がんは全然珍しい病気ではない。私の体験も、全然大したことではないだろう。近いうちに、あまり深刻にならないように、毎年の便りを用意しようと思う。



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娘に話す 術後1カ月

 日本は平成から令和に変わることで大騒ぎになっている。タイでも普通のニュースで取り上げられているし、久しぶりに会ったタイ人の先生にも「新しい王様になったんでしょう」(タイは王制なので、emperorという言葉はなじみがない)と言われた。実はタイでもこの5月4日、5日に王様の戴冠式がある。

 この10連休を利用して、長女が旅行の最後にバンコクに寄ってくれた。だからこの時に病気のことを話そうと決めていた。彼女はたった2泊で帰ってしまうので、帰る前日は一日一緒に過ごし、その夜に打ち明けようと思った。そしてそれがちょうど術後1ヶ月にあたる日だった。

 朝はゆっくりして、お昼はスクムビットにあるホテルでランチを食べた。それから二人とも見たいと思っていた「アベンジャーズエンドゲーム」を見る。3時間もの大作なので疲れないか心配していたら、最初の方のストーリーが分かりにくいところで、うっかり寝落ちしてしまい、娘につつかれた。どうしても英語音声、タイ語字幕では理解できないところが多い。でもその後は夢中になり一気に3時間が過ぎた。

 映画の後も、彼女のお土産探し、夕食と、以前と変わらないペースで動くと、最後にずいぶん疲れを感じた。家に戻って一息ついたところで、話を切り出した。
 「ちょっとびっくりすると思うけど、でももう大丈夫なことだから。」
これだけ言われても何のことかわからないだろうなあ。 娘は何を言ってるのという顔をする。
 「私、4月始めに、肺がんの手術を受けたの。でも本当に初期に見つかったから、切ったら大丈夫って言われたし。リンパ節転移もなかったから、ホントに大丈夫だから。」 

 娘に口をはさませず、一気にこれまでの経過を話した。2月末に、大学の検診結果で再検査と言われたこと。病院に行ったら、すぐ悪性で手術をしたほうがいいと言われたこと。そしてその日に夫と相談して手術をバンコクで受けると決めたこと。 

 「手術も2時間ちょっとぐらいで、あっという間だったって。まあICUにいたときは、かなり痛かったんだけど、その後は我慢できないほどじゃなかったし。傷跡もこんなに小さいんだよ」と見せると、急に娘は涙ぐんだ。

 「えっ?大丈夫だって。」
 「そうじゃなくて。お母さんのその小さい傷でもすごく痛いんだったら、あの子たちって、もっと大きな傷が残ってて、きっとものすごく痛かったんだろうなって。」

 娘は看護師ではないが、仕事で病気の子どもたちと接している。そのため母親のことよりも、その子どもたちのことの辛さを感じてしまったのだろう。私はそれを聞いてほっとした。私のことで泣かれたら、どうしてよいのかわからなくなっただろう。そして娘につられてもらい泣きしてしまった。  

 夫が手術に立ち会って、最初の予定より長くバンコクに滞在したことも、合点がいったようだ。今後のバンコクでの診察や、日本に一時帰国したあとのことも話をして、それほど大きなショックを受けず納得したように見えた。もちろんもう大人なので、心の中のショックは母親に隠していたかもしれないが。

 長女に話せたことで、本当に気持ちが楽になった。そして話しているうちに、ニュージーランドにいる次女にも話そうという気持ちになった。会うチャンスがないならともかく、6月に彼女がここに来るのは、話すべきだということだろう。 



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術後4週目の生活

 まだ4月中にしなければならないことがいくつか残っていた。まず試験結果が良くなかった学生の呼び出し補習。タイ人学生は礼儀正しいが、時間にいい加減なことが多い。予想通り呼び出した学生は全員時間通りには来ず、日を設定しなおす必要も出た。

 次に運転免許の更新。2年前にタイに来た時、国際免許からの切り替えで車の運転免許を取り、学科試験(これがかなり難しくかった)と実技試験を受けてバイクの免許も取った。タイは最初の2年間は Temporaly Licence(仮免許)で2年経って本免許に切りかえる。 

 私はワークパーミットを持っているので、在留証明書などはいらない。パスポートのビザのページや、ワークワーミットの必要そうなページはすべてコピーし、青ボールペンでサインをしておく。後は健康診断書だが、これも口頭で確認するだけの簡単なものなので、ちょっとしたクリニックでやってくれるし、陸運局の近くにもクリニックがある。実は今回の健康診断は、手術の前に済ませていた。というのは免許だけでなく、ビザの延長にも簡単な健康診断がいるからだ。

 陸運局はスクムビット沿線のバンチャークにもあるが、私はチャトチャックの近くにある陸運局のほうが便利なのと、こちらの方が外国人に慣れているようで、2年目に免許を取ったときも、それほど困らなかった。

 今回は更新だけなので、必要な書類を用意して提出した後、目の検査。単純な色盲検査と、視覚範囲の検査、遠近感の検査(これが少し難しい。2本の棒をボタンを押しながら動かして、並んだところで止める)。そしてブレーキテスト。信号の色が変わったらブレーキを踏む。

 午後から行ったが、1時間半程で2枚の免許を手にした。タイの免許は5年間有効なので、2025年の誕生日まで。その時、ふと思った。次の免許更新まで再発がなければ、がんも完治したということなんだ。 

 帰りは急がないので、バスを乗り継いで帰宅した。ずっと座っていたが、来たのがノンエアコンのバスで、かなり時間もかかった。家に戻ると傷口ではなく、左胸がもぎとられるような感じになる。これが神経痛なんだなあ。まだ1ヶ月も経っていないので、仕方ないけれど。



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抜糸 [2019/04/21]

   昨日は退院後初めてスクムビットへ出かけた。プロンポンのFUJIスーパーの近くに、Key Booksという古本屋があり、タイ在住の日本人にはお馴染みのところだ。私も月2回は通い文庫本を仕入れてくる。読み終わった本も買い取ってくれるので便利だ。4冊買ってリュックに入れると、意外に重さを感じた。やはりいろいろな点で、以前との違いを感じる。

   一人なので、昼食は気楽なターミナル21のフードコートへ。手術後ほとんどタイ料理を食べていなかったが、ラートナーというあんかけ麺とサトウキビのジュースはとても美味しかった。でも辛いカレーやソムタム(パパイヤのサラダ)を食べる自信がない。

   もうひとつ、どうしても行きたいところがあった。私は昨年、眉のアートメイクをした。昔から興味があって、タイに住んだらやりたいと思っていたからだ。でもネットで刺青やアートメイクをしているとMRIが受けられないと書いてあったのが心配だったのだ。

   そのサロンに行くとちょうどオーナー女性がおられた。
「ちょっとお聞きしたいのですが。私は去年眉のアートメイクをしましたが、アートメイクをすると、脳MRI を受けられないと聞いたのです。」
「全然大丈夫ですよ。使っているのは、鉄ではなくカラーだけですから。」
それで安心した。今は必要なくても、脳MRIはいつか必ず受ける必要があるだろう。
 

   ちょうど帰宅した頃、病院からショートメールが来ていて、レントゲンが12時、W先生の診察が12時50分からになった。夕方遅い時間じゃなくなってよかった。

   朝洗濯をして、軽くサンドイッチを作って食べた後、病院へむかった。先に検査室でレントゲンを撮る。もう3回目だから慣れたものだ。終わっていつもの内科へ行ったら、そこではなく外科だと言われた。そうか、W先生の診察だ。ということは、もうあのきれいなM先生には会えないのか。

   W先生が来られたのは1時前で、私の前に二人が待っていた。少し迷ったが、看護師さんに通訳の方をお願いした。抜糸をしながら落ち着いて質問できるか自信がなかったし、専門用語をあわてて忘れてしまう可能性もある。それで先に通訳の方に質問を伝えた。

*今後の検査や診察のスケジュール
*再発の可能性
*脳MRIや腫瘍マーカーの必要性
*毎年受けている人間ドックは必要か?
*左胸がピリピリするのはいつまで続くのか
*してはいけない事、してもよい事

   抜糸は、通訳の方が質問してくださる間に終わった。先生の答えを聞くことに集中していたおかげで、痛みはほとんど感じなかった。先生は、いつも通り気楽な様子で答えてくださった。

   今後3ヶ月ごとのX線、1年後にCT撮影。再発の可能性は低い。脳MRIやマーカーも今は必要ない。人間ドックは受けた方がいい。左胸は神経を切ってつないだので、半年くらい痛いかもしれない。
   「何をしてもかまわないよ。サウナ?OK、OK。日本への飛行機?大丈夫。」
   「私の左肺はどれくらい残っているんですか?」
   「32/42だから...76.19%だね。」

   家に帰ってネットで検索すると、W先生はチュラロンコン大学病院で、心臓、肺が専門の高名な外科医だった。傷口も測ると10cmほどで、左腕をを下ろすと隠れる位置だ。痛みもたいしたことがないのは、やはり手術がお上手なおかげだろうか。
   


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同僚と会う 術後2週間ごろ

   抜糸の予定は術後2週間目だったが、その日の朝早く病院から電話があり、W先生に緊急のオペが入ったそうで、私の予約は次の日曜日になった。少し聞き取りにくい英語だったが、夕方5時半で間違いないのかな。ちょっと遅いけど。
 
   散歩も少しずつ時間と距離をのばし、ゆっくり目に1時間歩いても平気になった。ただ午後からは少し体温が高めになる。でも37度7分程度だったし、傷の痛みもあまりたいしたことがないので、2週間が過ぎた頃に薬を飲むのをやめた。寝る前に飲んでいた咳止めも、ちょうどその頃なくなったので、やめてしまった。もちろん咳は時々出たが、ハーブのど飴だけで大丈夫だった。

   ちょうど2週間が経った頃、親しい同僚からラインが入って、学校で会うことになった。私も翌週に学生を呼び出しているので、その課題の解答準備もしておこうと思った。学校までいつもの速度で歩いても何ともなかったのに、そのまま2階までの階段を登ったら、一気に息切れした。同僚に気づかれるのも嫌なので、部屋に入る前に数分間息を整えた。

   自分では声がかすれているような気がしたので、同僚にはひどい風邪をひいて寝込んだと説明した。でも1時間ほど話したが、それほど違和感なく話せてホッとした。その後1時間半ほど翌週の学生呼び出しの準備をして、近くの公園まで散歩した後帰宅。

   家に着くとやはりぐったりした。1時間近く人と話をしたし、その後デスクワークもした。でもまだ手術から2週間しか経っていないので、疲れるのは当然だ。食欲は戻ってきたとはいえ、あっさりしたものしか食べられないし、体重も落ちたまま。それでもたった2週間でこんな普通の生活ができるようになるとは思わなかった。
    

   


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一人の生活へ 術後10日ごろ

   術後9日目の早朝、夫が日本へ帰った。Grabが使えるようになって、家族や友人たちを見送るのも心配が減った。Grabだと料金は登録してある私のカードから落ちるし、走行中も位置を確認できる。ぼったくりも起こらない。 
   
   この頃の食事は、朝食に食パンと野菜、バナナと入院前と同じもの。昼食は、夫に日系スーパーで買ってきてもらった乾麺をゆで、これまた日本から持ってきてもらったサバ缶と野菜。退院後、料理もできなかったら困ると思い、3月にサバ缶を10缶持ってきてもらったのだ。夕食も蒸し鶏肉や豆腐、卵などと、簡単な野菜料理を作って食べていた。

   一人になってからは、もう日常的な家事は普通にするようになった。私が住んでいるのは1ベッドルームで掃除もたいしたことはない。コンドミニアムの前にはコンビニがあり何でも売っている。5分以内に地元の市場もあり、生活には困らない。まだ脂っこいものや辛いものは食べたくなかったので、ずっと日本食を作っていた。

   朝食後のまだ日差しがあまり強くない時間に、近くを30分ほど散歩した。 帰ってシャワーを浴びるとぐったりして横になる。そして午後になると38度弱まで熱が上がる。動けないほどではないが、午後はベッドで横になってiPadで映画やドラマばかり見ていた。

   寝る頃には薬が効くのか、熱は37度くらいに下がる。ただ夜中に目が覚めると、そのまま1時間くらい眠れない。でも昼間にうつらうつらしたり、朝もいつもより遅いので、睡眠不足ではないはずだ。肋間神経痛は相変わらずだけど、傷口はあまり痛くないので抜糸まで 心配なさそうだ。

   


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術後1週間目 [2019/04/10]

   朝起きると熱はなく、朝食後のパラセタモールも1錠だけ。9時半ごろ、学校までPCを取りにいくことにした。たかだか10分くらいなので、ゆっくり歩くとつらくない。でも2階までの階段を上がっただけで息切れして心臓がバクバクいう。いつまでこんな状態が続くんだろう。

   たった30分ほどの外出だったのに、帰ってシャワーを浴びるとぐったり。まあ今のタイは一番暑い時期で、朝でさえ30度を超えているので仕方がないか。それでも少し横になると楽になり、昼にはお好み焼きを作って食べた。食欲もかなり戻ってきているが、体重を測ると2kgも減っていた。

   ちょっと無理をしたのか夕方に熱を測ると38度だった。でもちょうど病院から電話があった。
「調子はどうですか?」 「傷口はあまり痛くないのですが、午後になると熱が38度くらいになります。」  「薬はちゃんと飲んでますか?」「痛くなかったので、今日の昼は飲んでません。」「熱がある時は飲んでくださいね。それにずっと熱が下がらないのであれば、病院へ来てください。」

  そうか、あの薬は解熱剤でもあるんだ。でももう2錠も飲まなくていいだろう。私は日頃痛み止めをほとんど飲んだことがないので、よく効くようだし。それでもこうやって電話で様子を聞いてくれたのはありがたかった。

   日本だと、1週間は入院しているのじゃないだろうか。出産も確か7泊8日で、暇で仕方がなかった。海外だと出産した翌日に退院ということもあるのに、日本は入院期間が長い傾向にあると思う。術後なるべく早く歩いた方がいいと、日本の病院のサイトにも書いてあったけど、病院で歩ける距離はたいしたこともないし、病室で身体を動かすにも限度がある。家だとシャワーひとつ浴びるのも、リハビリだなあと感じる。
   


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