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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

終活

母の世代の頭には「終活」はないんだろうなあ

 本文に入る前に、まず今回の投稿をミスってしまい、前回のブログのコメントが、こちらに入ってしまっていることをお詫びします。前にも何度かしたことがあるのですが、前日のブログに上書きをしてしまいました。幸い、PCに残っていたので、前回分はもう1度アップしたのですが、ブログ村のリンクはおかしくなっているかもしれません。どうもすみません。
 
 さて今日の本題です。

 終活という言葉は、「週刊朝日」から生み出された言葉で、2009年(平成21年)8月から12月にかけ、「現代終活事情」という連載で使われたのが最初で、翌2010年には、新語・流行語大賞にノミネートされ、2012年の新語・流行語大賞でトップテンに選出された。
(Wikipediaより)

 もちろんこの言葉以前にも、「身辺整理」という言葉があり、50代ごろから少しずつ片付けたり、退職後に一気に片付けたりした人もいるようだが、専業主婦の人たちはどうだったんだろうかと思う。

 2021年の「株式会社ハルメク」が調査した結果によると、このときの60〜74歳の79%は終活は必要だと思っているそうだ。4年前なので、このアンケートに参加した人は最高齢でも78歳。うちの母より10歳、亡くなった姑の20歳以上、年齢が下の人なので、やはり母や姑世代とは違いがあるのだろう。

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 終活を始めたきっかけは、「親族・家族の死」「自分/配偶者の健康状態の悪化」「定年退職」「コロナ禍」など。また「必要だと思う終活」は「家具や家の中の荷物整理・処分」「金融口座・金融商品の整理」「衣類やアクセサリーなど身に着けるものの整理・処分」など。前回調査から、「情報まわりの整理」が「必要だと思う」割合が増加しているそうだ。

 終活を始めるのは、やはりこのアンケートの世代じゃないと無理ではないだろうか。結婚後家を建て替えたとき、私が古い家の6割以上を片付けた。新築した家に荷物を戻したとき、姑は古い衣装缶を2つ、「階段上の収納庫に入れといて」と言い、十数年後に亡くなるまで一度もそれを出してほしいと言わなかった。

 母は私の独身時代の部屋を着物や服の収納部屋に使っていて、もう押入れを利用したクローゼットを開けることもできないくらい古い服で埋まっている。それ以外には洋服ダンスをふたつ、和箪笥をひとつ使っている。私が整理したのは、タンスに入っていたものだけなので、元私の部屋は開けるのも嫌になるくらいの有り様だ。

 そう二人とも、古いものには蓋をするという感じで、一切手をつけようとしなかった。そのために私は二人の母の遺品整理と生前整理で、このGWはかなりの時間を費やすことになっている。

 私たちの親の世代は、ほとんどが「死んだら好きにして」とか言いながら、子ども世代に終活も押し付けているんじゃないだろうか。昔は親の家にそのまま住み続けることも多かっただろうから、遺品整理もたいしたことがなかっただろうが、今は親の家さえも、処理に困る時代。すべての人に終活は必要になってきている。

 GW前半は、本の整理と、姑の部屋に残った様々なものの整理に追われている。かなり片付けたと思っていた姑の服は、45リットルのゴミ袋8個分になり、布団や毛布、シーツなどもかなりの量になった。ちょうど今週の金、土が小型ごみ、古紙、布の回収だし、古着は市の処理センターに持ち込みができるので、なんとか一気に片付けられそうだ。

 今日は朝から片付けていたので、このブログは完全に愚痴。でもGWはひたすら片付けようと思っているので、当分楽しい話題になりそうにもないです。
 
 
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死者からの便り

 私の人生で一度だけ、死んだ人からのハガキをもらったことがある。もう20年近く前のことになるが、それはがんで亡くなった高校時代の友人からだった。

 彼女は高校時代、バレー部でともに笑い、ともに泣いたチームメイトの一人だった。私たちの代は部員が10人で、たまたま1学年上の先輩がいなかったために、1年の7月からは自分たちだけになってしまった。OBの方がコーチに来てくださっていたが、自分たちで考えてやらなければならないことも多かった。でも10人は最後まで誰も辞めず、高校卒業後も連絡は取っていた。

 私は毎年年賀状を出しているので、全員の消息を知っている。ただもう10人で会ったのは、30年近く前のことになる。10人は全員結婚し、離婚や再婚を経験した人もいる。でも年賀状で元気にしているのを知ることが楽しみだった。

 20年ほど前の年末、そのうちの一人からハガキが届いた。それはこんな文面で始まっていた。
「みなさんがこれを目にするとき、私はもうこの世にいません。私は〇月〇日に、旅立ちました。」

 彼女は乳がんのために亡くなっていた。そのハガキは彼女が生前用意し、ご主人によって投かんされたものだった。

 自分自身ががんになったとき、彼女のことを思い出した。私は早期発見で、幸い普通の生活を送れているが、彼女は、どんな闘病生活を送られたのだろうか。残念ながら彼女は関東に引っ越していて、お参りにいくこともできなかった。

 なぜこんなことを書いたかというと、先日遺影の話をする機会があったからだ。父の遺影は、家族が撮ったものではなく、地域のお祭りのときに、どなたかが撮ってくださったものだった。とてもうれしそうに笑っている。通夜か葬儀のときに、弟が喪主挨拶で、「おやじもこんな顔するんやなあって驚きました」と言ったことを覚えている。

 遺影の話が出て、母は「私もいい写真を選んどこうかな」と言った。本当にそうだよ、お母さん。今よりもう少し若い頃の、素敵な着物姿がいいよ。

 母だけでなく自分のためにも、終活についていろいろ調べている。でも私たちはいつ死ぬかがわかるわけではない。今、遺影写真を選んでも、それからずっと長生きしたら、やっぱり遺影としては不自然かもしれない。就活の本には、遺言状とかお葬式の出席リストとかも用意した方がいいとあったが、母の年代だと、出席リストを作っても、その方たちが存命かどうかもわからない。

 終活はある程度準備ができるだろうが、計画通りという言葉は当てはまらない。きっちり積み木を重ねていくように物事を進めたい私には、母の終活を手伝うのはストレスが大きい。でも後で困らないように、できることは少しずつやっていこうと思う。

 最近、朝夕は寒いけれど、日中は穏やかで秋を満喫できる
木々も緑から黄色、赤へと色づき始めている

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