今回ハードスケジュールで奥琵琶湖へ行ったのは理由がありました。それは、今年5月末に3年前に肺がんステージ3とわかった叔父が亡くなり、その時に叔母といとこと約束をしたためです。
叔父は私がタイから帰ってまもなく肺がんが見つかり、抗癌剤や放射線治療を受けていました。その時に私も肺がんだったことを伝え、ステージ3でも乗り越える人もいるからと励まして、叔父も快活な様子で頑張るからと言いました。
昨年5月、肺に胸水が溜まり入院した後に、リハビリ中だった叔父を誘い、越前までドライブ旅行をしました。その時は本当に元気で、敦賀の市場で新鮮な魚介を買い、夜は手料理をふるまってくれたのです(キッチン付きのログハウスに泊まったので)そして、また秋か次の春には一緒に行こうと約束しました。
叔父が一泊で出かけたのはそれが最後になったようです。年明けから随分元気が亡くなり、入院し、4月末には本人の希望で自宅に帰り、叔母が最後まで看ることになったと電話がありました。そしてGW中にお見舞いに行ったのが、叔父と会った最後になりました。
この前、「がんで死にたい」という本のことを書きましたが、実は叔父のことも頭にありました。叔父は病気がわかって3年弱ですが、2年ほどはなんとか元気に過ごし、最後のときも自分で選び、自宅で亡くなりました。私たち家族もGW中に会いに行けたし、滋賀県に住む娘夫婦も、その翌週に会いに行きました。母は両方についていきました。
たぶん叔父が会いたいと思う人は、全員会えたのだと思います。そして叔母や息子、娘にもある程度言いたいことは言ったのだと思います。旅行中に少しそんな話をしたら、まだ40代のいとこでさえ、「死ぬならがんがいい」と言いました。
叔父夫婦といとこは、私がオーストラリアに留学中に遊びに来てくれて、バンコクにも夫婦で来てくれました。叔母とは、ベトナムに一緒に行ったこともあります。母の弟と言っても、母と一回り年が離れているので、私とも一回りで、ずっとお兄ちゃんと呼んできました。
長男のいとこは、私が高校、大学時代に電車が大好きな小学生だったので、よく電車を乗りに出かけました。妹のいとこは、私がすでにバックパッカーとして旅行しまくっていたので、それほど一緒に遊んでもらった記憶はないと言われました。
叔父は完全リタイヤしてから料理にハマり、遊びに行くと、いつもプロ並みの料理をご馳走してくれました。スマホには、叔父の料理の写真がたくさん残っています。そして叔父夫婦は、私達兄弟が家を出たあと、ずっとお正月に車で母を初詣に連れて行ってくれました。
そんな叔父夫婦なので、母にとっては一番親しい家族であり、私にとっても一番親しい親戚でした。
今回の旅行は、母が「お香典とか受け取ってもらえなかったし、御弔いも兼ねて、私が全部出すから」とのことで、叔母といとこを招待することにしたのです。もちろんドライバー兼ガイドの私も出してもらいましたが(^∀^)
「叔父を偲んで」とタイトルにしましたが、どちらかといえば「母のおしゃべりにつきあってもらう」ことが目的になりました。1日目、ハイテンションの母は、叔母相手にずっと話しまくり、お昼のランチコースも、この写真の夕食も、私達と同じだけ食べました。ただ、かなりお腹いっぱいになり、ご飯は食べられないと思ったら、レストランの方が翌朝にとおにぎりにしてくださいました。
叔母が根気よく母の話を聞いてくれたおかげで、私もそれほどイライラすることもなく2日間を過ごしました。叔父の思い出話もたくさんできて、母も本当にうれしそうでした。
という理由でスケジュールを強行したのですが、さすがに疲れたようで、昨日昼過ぎに気づくと微熱があり(37.7度)、早めに夕食を食べ、7時半頃、パラセタモールを1錠飲んで寝ました。でも11時半頃目が覚めて、少し寝付けなかったので、また1錠飲んで寝ました。日頃あまり薬は飲まないので、睡眠導入剤代わりになるんだとびっくりですが、今朝はすっかり元気になりました。
天国から叔父が、私達4人を見て、よく食べるなあと笑っていると思います。
叔父は私がタイから帰ってまもなく肺がんが見つかり、抗癌剤や放射線治療を受けていました。その時に私も肺がんだったことを伝え、ステージ3でも乗り越える人もいるからと励まして、叔父も快活な様子で頑張るからと言いました。
昨年5月、肺に胸水が溜まり入院した後に、リハビリ中だった叔父を誘い、越前までドライブ旅行をしました。その時は本当に元気で、敦賀の市場で新鮮な魚介を買い、夜は手料理をふるまってくれたのです(キッチン付きのログハウスに泊まったので)そして、また秋か次の春には一緒に行こうと約束しました。
叔父が一泊で出かけたのはそれが最後になったようです。年明けから随分元気が亡くなり、入院し、4月末には本人の希望で自宅に帰り、叔母が最後まで看ることになったと電話がありました。そしてGW中にお見舞いに行ったのが、叔父と会った最後になりました。
奥琵琶湖GFCレストランの懐石コース
前菜5種
この前、「がんで死にたい」という本のことを書きましたが、実は叔父のことも頭にありました。叔父は病気がわかって3年弱ですが、2年ほどはなんとか元気に過ごし、最後のときも自分で選び、自宅で亡くなりました。私たち家族もGW中に会いに行けたし、滋賀県に住む娘夫婦も、その翌週に会いに行きました。母は両方についていきました。
たぶん叔父が会いたいと思う人は、全員会えたのだと思います。そして叔母や息子、娘にもある程度言いたいことは言ったのだと思います。旅行中に少しそんな話をしたら、まだ40代のいとこでさえ、「死ぬならがんがいい」と言いました。
お刺身(しまあじ、タイ、マグロ)
焼きサンマにおろした赤大根や薬味
叔父夫婦といとこは、私がオーストラリアに留学中に遊びに来てくれて、バンコクにも夫婦で来てくれました。叔母とは、ベトナムに一緒に行ったこともあります。母の弟と言っても、母と一回り年が離れているので、私とも一回りで、ずっとお兄ちゃんと呼んできました。
長男のいとこは、私が高校、大学時代に電車が大好きな小学生だったので、よく電車を乗りに出かけました。妹のいとこは、私がすでにバックパッカーとして旅行しまくっていたので、それほど一緒に遊んでもらった記憶はないと言われました。
蓮根饅頭
叔父は完全リタイヤしてから料理にハマり、遊びに行くと、いつもプロ並みの料理をご馳走してくれました。スマホには、叔父の料理の写真がたくさん残っています。そして叔父夫婦は、私達兄弟が家を出たあと、ずっとお正月に車で母を初詣に連れて行ってくれました。
そんな叔父夫婦なので、母にとっては一番親しい家族であり、私にとっても一番親しい親戚でした。
ヒレステーキ
今回の旅行は、母が「お香典とか受け取ってもらえなかったし、御弔いも兼ねて、私が全部出すから」とのことで、叔母といとこを招待することにしたのです。もちろんドライバー兼ガイドの私も出してもらいましたが(^∀^)
はもシャブ
「叔父を偲んで」とタイトルにしましたが、どちらかといえば「母のおしゃべりにつきあってもらう」ことが目的になりました。1日目、ハイテンションの母は、叔母相手にずっと話しまくり、お昼のランチコースも、この写真の夕食も、私達と同じだけ食べました。ただ、かなりお腹いっぱいになり、ご飯は食べられないと思ったら、レストランの方が翌朝にとおにぎりにしてくださいました。
でもデザートは食べました
叔母が根気よく母の話を聞いてくれたおかげで、私もそれほどイライラすることもなく2日間を過ごしました。叔父の思い出話もたくさんできて、母も本当にうれしそうでした。
という理由でスケジュールを強行したのですが、さすがに疲れたようで、昨日昼過ぎに気づくと微熱があり(37.7度)、早めに夕食を食べ、7時半頃、パラセタモールを1錠飲んで寝ました。でも11時半頃目が覚めて、少し寝付けなかったので、また1錠飲んで寝ました。日頃あまり薬は飲まないので、睡眠導入剤代わりになるんだとびっくりですが、今朝はすっかり元気になりました。
天国から叔父が、私達4人を見て、よく食べるなあと笑っていると思います。










