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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

肺がん手術

3ヶ月半検診 [2019/07/21]

    体調はとてもいい。体力もかなり回復して、日常生活にはほとんど問題がなくなった。と言っても1日出歩くと疲れるし、肋間神経痛はずっとピリピリした感じがある。それは疲れるとひどくなるようだ。しかも痛いところは、左胸で時々位置が変わり、今は左の肋骨の上が時々痛い。

    それでもタイに戻って1ヶ月半、娘と知人の結婚披露宴パーティーを兼ねたアユタヤ旅行へ行き、週一回のボランティアを始め、バイクに乗り始めた。職場では病気を打ち明けている一人以外は、誰も私が入院、手術をしたことに気づいていないし、体調が悪そうだと言われたこともない。

   自分自身で気をつけていることは、まず無理をしない事、そして食事だ。タイは外食文化が盛んで、外で買ってもあまり高くない。でも油っこいものが多いし、私の近くの市場はローカルなので、辛さはタイ人向けだ。

    がんになる前から、食生活にはかなり気を配って、夕食の半分以上は自分で味付けをして作ってきた。もちろんタイ料理は大好きなので、メインは買ってきて、野菜料理は自分で作るというパターンだった。でも退院後は、辛いものもを食べたいと思わず、ほとんど和食を作って食べていた。あの頃は、夫が持ってきてくれたサバ缶に大いに助けられた。市場では魚介類のおかずが少ないし、大抵はかなり辛いのだ。 

    体調は良かったものの、やはりずっと咳が出ることが気になっていた。もう十数年前から、ひどい咳が止まらない事があり、レントゲンは何もなかったので、過敏症による咳と言われていた。 香水や消臭剤のような匂い、温度差、チリやホコリ、ちょっとしたきっかけで2、30秒咳が止まらない。

    授業が本格的に始まってから、そんな咳が出るようになった。それと喉の奥深いところに少し痛みもある。風邪とは思わないが、何か気管支に異常があったらどうしようかと不安だった。夜に咳が出るわけではないので、咳止めは一切飲んでいなかった。

    前日に、W先生の受信の前にレントゲンを撮るようにと、確認の電話があった。受診は5時からなので1時間前に行けばいい。もし他の症状が見つかった場合、海外旅行保険が適用してもらえるかわからないので、保険会社に電話をした。

   「私は肺がんの手術を受けて、その経過観察に行きますが、喉の奥が痛いので、もしがんと関係のない症状であれば、保険はききますか?」
   「診断書があれば、後日払い戻しをしますので大丈夫です。」
   「経過観察の診断書の中に、その記載があっても大丈夫ですか?それとも別の診断書が必要ですか?」
   「BNH病院なら、こちらから後で問い合わせもできますので、大丈夫です。」

   少し安心して、翌日の検診に出かけた。レントゲンは待ち時間もなくあっという間だったが、前回同様W先生は遅れて来られるようだ。やはり通訳の方をお願いしようと、受付に申し出て、待っている間に質問したいことをメモした。

①疲れると肋間神経痛(ピリピリ)がひどくなる。いつ頃まで続くのか。
②最近、左上の肋骨のあたりが抑えると痛い。
③授業が始まった頃から咳が出るようになった。
④喉の奥の方が少し痛い。

 診察は結局40分ほど遅れたが、いつもマイペンライ(大丈夫)のW先生は、また軽い感じで全部の質問に答えてくれた。
「神経を繋いだから6ヶ月から9ヶ月くらいは、神経痛は続くかなあ。咳と喉は、大声を出しすぎているためだと思うよ。まあ声を出すなというのは、無理かもしれないけどね。咳止めの薬だけ出しておこうか。でもあまりしゃべりすぎないように。」

  う〜ん、しゃべりすぎないようにって・・・しゃべるのが仕事なんですよねぇ。しかも元来おしゃべりなので、黙っているのがつらい。これまでも日本で風邪をひいた時、喉が痛くなるたびに「あまりしゃべらないように」と言われても、ちゃんと守れなかった。まあ授業のないときは黙っていよう。

  W先生と話すと本当に気が楽になる。レントゲン結果も問題なく、肺もちゃんと伸びているそうだ。何をやっても構わないと言ってもらえた。次回はまた3ヶ月後なのだが、その直前に日本へ戻り、CTを撮ることを話すと、「じゃあ、そのデータ持ってきたらX線いらないから」とこれもありがたいお言葉。タイでの費用が安くなるし被曝量も減る。

   あっという間に診察が終わり、会計を待つ間に、家族にラインで結果を知らせた。実はこの検診が終わるまで少し迷っていたのだが、来週は連休になるので、ベトナムへ行きたいと思っている。すでに航空券は手配済みで、万が一ダメだと言われたら、あきらめるつもりだった。でもこれで心置きなく、久しぶりの一人旅だ。




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術後3ヶ月[2019/07/03]

 術後2ヶ月目から3ヶ月目にかけては、まだ授業が始まる前に娘が遊びに来て、知人の結婚式に出席したり、アユタヤへ行ったりと、手術を受けたことなど思い出さないほど快調に過ごしていた。でも本格的に授業が始まった頃から、また咳が出るようになった。咳止めを飲むほどではないが、喉の奥の方が少し痛いことも、ずっと気になっていた。でも3ヶ月半の時期に検診が入っていたので、そこまでは様子を見ようと思った。

 術後1ヶ月の時に、ブログのまとめをしたが、同様のまとめをもう一度。

肺がん発覚まで

胸部X線で再検査? [2019/02/25]
いきなり手術!?① [2019/02/27] 
いきなり手術!? ② [2019/02/27]

入院、手術

手術2日前 [2019/04/01]
手術前日 [2019/04/02]
手術当日① [2019/04/03]
手術当日② [2019/04/03]
手術翌日 [2019/04/04]
術後2日目 [2019/04/05]
術後3日目 [2019/04/06]
術後4日目ー病理結果 [2019/04/07]
術後5日目ー退院 [2019/04/08]

退院から術後1ヶ月まで
 
術後6日目 [2019/04/09]

術後1週間目 [2019/04/10]
術後10日頃
術後2週間頃
抜糸 [2019/04/21]
術後4週目
術後1ヶ月  [2019/05/03]

一時帰国中の受診
一時帰国[2019/05]② 日本での受診 AM
一時帰国[2019/05]③ 日本での受診PM
一時帰国[2019/05]④ 胃カメラと腹部エコー


体調の変化

*術後2ヶ月目は、日本に帰国していろいろな病院にも行き、体調も良かった。ただ手術をした左側を下にして横になると、呼吸がしにくいので、ずっと右側を向いて寝ていた。そのために、右腕や肩に負担がかかり、以前から痛めていた右肩の痛みがひどくて眠れないほどになった。そこで昔、通っていた針灸院に通い、なんとかましになってタイへ戻った。

*手術後、気がつくと体重が3kgちょっと落ちていたが、日本での暴食にも関わらず、体重は戻らない。でもやはり少し食べる量が減っていて、たくさん食べることができない。食欲がないわけではないが、少し食べるとお腹が一杯になってしまう。

*私は、来年還暦を迎える年齢だが、若い頃からずっとスポーツを続けていたおかげで、体力には自信がある方だ。(娘には過信しすぎで、それが怖いと言われたが)手術後、1ヶ月で家の中のことは全てできるようになったし、2ヶ月後には、外での生活も普通だと感じるようになった。3ヶ月経った今は、以前ほどではないが、体力もかなり戻り、日常生活で困ることはなくなった。

*最初に書いたように、咳が出ることが気になっている。これが日本なら、すぐ病院に行くところだが、保険の使えないタイだと躊躇してしまう。かなり不安を感じているが、とにかく次の検診でレントゲンを撮るし、先生に聞いてみよう。


 

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千葉敦子さんの本

 私は20代で千葉敦子さんの本に出会った。千葉敦子さんと言っても、もう知らない人も多いかもしれない。1987年に乳がんの再発、転移でアメリカで亡くなられたジャーナリストだ。彼女が若い女性のために書いた「ニューウーマン」という本は、考え方が当時としては斬新で、本当に感銘を受けた。その時は既に彼女は「乳がんなんかに負けられない」という本で、当時としては珍しかったがんの告白を赤裸々に書いておられた。その後も亡くなるまで、がんとの戦いや、生き方についての考え方を書き続けられた。 

 ちょうど彼女の本を読み始めた頃、母が検診で引っかかり、詳しい乳がんの検査を受けた。結局なんでもなかったのだが、私は千葉敦子さんのがんに関する本を全部買って読んだ。今回の一時帰国中に、その本を全て読み直そうと思った。おそらく最後に読んだのが20年近く前で、まだ千葉敦子さんが亡くなった年齢に達していなかった。でも今はその年齢をとっくに超え、がん患者となっている。

 もう30年以上前のことなので、当時の医療技術は、今よりかなり遅れたものだっただろう。でも彼女の病気に対する姿勢は、本当に見習うべき点が多かった。実際、彼女は自分で胸のしこりを見つけ、それは2cm以下の小さなしこりで、最初はリンパ節転移もないと言われたようだ。それだと1Aという判断になる。 でも1年半後に再発、その後も再発転移があり、結局最初の乳房切除手術から6年後に亡くなられた。

 彼女は亡くなるまでずっと一人暮らしを続け、家族ではなく、多くの友人に助けられて病気と闘った。常に人生に目標を持ち、がんになってからも、中期目標、短期目標をたて、それに向かって生き続けた人だ。約30年ぶりに読んだ本もあったが、あらためて彼女の強さを感じ、見習いたいと思った。そして今の医療技術なら、彼女があれほど早く亡くなることはなく、もっと多くの本を出しておられただろうと思った。

 彼女が亡くなる2日前まで書き続けられた「死への準備」日記は、読むのが苦しくなるほどだったが、彼女の強さを一番感じられた。日本で何軒かの本屋をのぞいてみたが、もう千葉敦子さんの本は一冊もなかった。図書館か、アマゾンや楽天ブックスの古本でしか見ることができないのかもしれない。でも、がんにかかった人は、ぜひ一度読んで欲しい本だ。もちろん彼女の強さは、見習いたくても無理なほどで、書評には彼女の考え方は上から目線だという意見もある。実際、がんを経験してから読むのは辛い部分も多かったが、(特に彼女が1Aからの再発ということにショックを受けた)自分の人生を自分でコントロールして、悔いのないように生きていきたいという気持ちが強くなった。 




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術後1ヶ月のまとめ

 ブログを始めて1ヶ月半、そして実際にはもうすぐ手術後3ヶ月になる。一時帰国も含めて長期の休暇中だったおかげで、このブログもコツコツ書き続けることができた。でも仕事が始まって、これまでのペースでの更新は無理だと実感している。

 もしこのブログを初めて見ていただいた方にわかりやすいように、そして自分自身のメモとしても、手術、入院、退院後についてまとめてみたい。 

肺がん発覚まで 
 一生忘れられないレントゲン写真で再検査と言われた日と、手術をすると決めた日。バンコクでこんな日を迎えるなんて、夢にも思わなかった。

胸部X線で再検査? [2019/02/25]
いきなり手術!?① [2019/02/27] 
いきなり手術!? ② [2019/02/27]

入院、手術
 トレッキングを含む1週間のネパール旅行から帰って、考える間もなく入院、手術。担当医からは、「肺が全部あるうちに行った方がいいよ」と言われたトレッキングについては、後日まとめてみたい。

手術2日前 [2019/04/01]
手術前日 [2019/04/02]
手術当日① [2019/04/03]
手術当日② [2019/04/03]
手術翌日 [2019/04/04]
術後2日目 [2019/04/05]
術後3日目 [2019/04/06]
術後4日目ー病理結果 [2019/04/07]
術後5日目ー退院 [2019/04/08]

退院から術後1ヶ月まで
 退院後すぐ一人暮らしに戻った。でも家の中のことはすぐできるようになり、毎日、灼熱のバンコクで散歩していた。少しつかれると、肋間神経痛のために左胸がビリビリと痛んだ。
術後6日目 [2019/04/09]

術後1週間目 [2019/04/10]
術後10日頃
術後2週間頃
抜糸 [2019/04/21]
術後4週目
術後1ヶ月  [2019/05/03]

体調の変化
*退院後1週間程は午後になると微熱が出たので、ずっとパラセタモールを飲んでいた。またかなり咳が出たので、一週間程咳止めも飲んでいた。
*どちらの薬もその後は全く飲んでいない。
*術後3週目頃には、歩く速度も普通で、1時間くらいは平気で歩けるようになった。ただし、帰宅するとぐったりして横になっていた。
*術後4週目頃には、普通に買い物をしたり食事をしたりしても、帰宅して横になることもなくなった。
*咳は時々でる。特に温度変化や何か強い匂いを感じると出るが、これはもうずいぶん前から「過敏症」と言われる咳かもしれない。 
 

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