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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

認知症

母は寝室がきれいなった事を気づいていないのか?


 今年も半年が過ぎ、7月に入った。6月初めに次女が5年ぶりに日本へ帰ってきて、買い物やら旅行やらと付き合っているので本当に忙しい。もちろん毎日楽しいのだが、ブログを書く時間が減り、アップアップしながら書いている。

 沖縄旅行も、先日の琵琶湖も、どちらもまだ書き終えていない。旅行記は写真を選ぶ手間があるので、ちょっと時間もかかるし、記憶があいまいなところはネットで調べて確認する必要がある。

 まあそれで昨日は旅行記でなく、ずいぶん前に書きかけていた母の断捨離のことを書いたので、今日もその続きだ。

 私の実家は2階に3部屋ある。かつては、両親、弟、私の部屋だった。両親は和室なので布団を敷き、私たちはベッドを使っていた。今、母は弟の部屋を使い(この部屋だけベランダがあり、洗濯物を干せるので)、私の部屋は母の着物部屋&物置となり、父が使っていた両親の部屋のみが、あまり物がなくスッキリしていた。

 かつての私の部屋は、ちょっと手がつけられない。桐の着物ケースの上に紙箱に入った着物がうず高く積まれている。出しっぱなしの着物がクローゼットにしていた物入れの前にかかっているので、引き戸なのに開けることもできない。でも着物関係にまで手を出す気力もわかない。

 そして母の寝室にはもう一つ大物が残っていた。処分する前に写真を撮っておけばよかったと思ったが、ネットで検索すると、よく似たものがあった。

電気治療機とかいうシロモノ
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 まだメーカーは残っていたので電話をして処分方法を尋ねてみると、あまりに古いもので向こうも困惑し、「自治体の方で聞いてもらえませんか」と言われた。自治体に電話をすると、ゴミ処理車で壊せるものならOKとのこと。でも最悪、大型ごみとしても持ち帰ってもらえない可能性もあるとのこと。
 
 大型ゴミの日、ドキドキしながら収集車の後を見に行ったら、ちゃんと消えていた。母のところでは費用がかかると言われたので、うちの自治体に感謝だ。
 
 その治療器を捨てると言った私に母はこう答えた。
「まだたまに使ってんのに。」
何言ってんだろう。その機械はたしか私が結婚する前からあった。つまり35年以上は経っている。そんな機械をコンセントに挿すだけで感電するんじゃないか。

 それを片付けた日だけ夫にも手伝ってもらったが、ベット下から取り出したパッドには、3cmもの埃が積もっていて、さすがに夫もゲンナリしていた。母が使っていた記憶というのは20年以上前のことに違いない。

 その機械とそれが乗っていた棚を部屋から出して、洋服ダンスも総入れ替えし、服を含め20袋以上のゴミ袋を出し、ようやく母の部屋は床が見え、歩いても危なくない程度になった。

 それから1ヶ月以上経つが、一応現状は保たれている。まあベッドの横にいつも使うバッグが2つ転がっているのは仕方がない。ただ母は、部屋がずいぶんスッキリしたことについて何も言わないのだ。

「私が必死で片付けたことを覚えていない?それとも昔はこれくらい片付いていたから、ずっとこの状態だと思ってる?」と疑念が湧いてきた。

 そんな時ネットで祖父母のゴミ屋敷を、祖母が入院中に業者を使って一気に片付けた人のマンガをみた。足の踏み場も全くないゴミ屋敷から、普通の家に戻ってきた祖父母は、何も言わずに居間でテレビを見出したというのだ。つまり昔のきれいな家の記憶が、ゴミ屋敷の記憶を消してしまったらしい。

 これと一緒じゃないだろうか。母は最近自分に都合の悪いことは全然おぼえていない。きっと防御本能で「できない自分」の記憶は一切残らないようになっているんじゃないだろうか。

 母は年2回受けている認知症テストの得点は、この数年変わりない。でも短期記憶がかなり弱くなっているのは事実だ。まあ嫌なことをすぐ忘れてくれるのはありがたいが、せっかく楽しく過ごした旅行のことも、ヒントになるようなことを言わないと忘れているのはちょっと悲しい。

 ただそんな母でも、いつもの生活をすることはできている。いつもと同じパンの朝食、昼食を食べ、夜はなるべく肉類も食べているようだ。掃除や洗濯も、目に見えるところはできている。家は築40年弱になるので、これまでやってきた家事はなんとかこなしている。でも本当にいつまで一人暮らしを続けられるのだろう。

 母の世話をしなければと思いながら実家に行くが、そのたびに昔とは違うのに、言うことだけは変わらない母にいら立ちを感じる。そして冷たく言い返したり、否定した後、家に帰ったから後悔に打ちのめされる。

 年老いた親の面倒を見ている人は、みんな同じような経験をしているのだろう。育児とは違い、介護は先が見えないから大変だというが、まさにその通りだと実感する。私はなんでも計画を立て、それを実行することに喜びを感じるのだが、目標点を作れない計画は本当に苦しい。

 愚痴ばかりで終わるのも心苦しいので、今日、娘たちと食べた夕食を。実は3人で食事をするのは5年ぶりだ。今日は、次女が朝から滋賀県の長女のところへ遊びに行った。私は母のところへ行き、夕方、次女を迎えがてら、ちょうど中間地点にあるイオンモールで合流した。そこで、長女おすすめのお店「らんちょす」へ。創作和風セット1,980円は、飲み物デザートもついてお買い得。

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認知症になっても生涯学び続ける人

 母は日常生活は一人でこなしているし、短時間話す程度では、少し認知症が始まっているとは気づかれにくい。87歳だと、認知症なのか年齢による物忘れなのか判断もつきにくい。でも私がずっと持ち続けていた母のイメージとは、もうずいぶん違ってしまった。

 以前の母はとても好奇心が強く、海外へ出かけたときも、いろいろなものに興味を示し、私が目を離したすきにフラフラと見に行ってしまうこともあった。元々買い物が好きなので、どこへ行っても記念になるようなものや、服を買いたがった。それが最近では、国内の旅行に行っても、弟夫婦や親しい近所の人にあげるお土産しか買わない。

 また母の住む市も広報に、高齢者向けの講座の案内が載ってたり、地域の中でもちょっとした催しの案内が入っていることもある。それを見て「お母さん、行ってみたら?」と声をかけるのだが、「前に、そんなん行ったことあるし」とか「家から遠い」とか言って腰をあげようとしない。

 一番私が腹立たしく感じていることは、通っている病院が経営するデイセンターを、主治医の先生が紹介してくださったのだが、「そんなとこへ行っても、話の合う人がいない」という。その言い方が、他の人を見下しているようで、カチンとくるのだ。

 じゃあ毎日何をしているのかと聞いても、「家のことだけでも忙しい」とか言う。確かに掃除も洗濯も料理も自分でやっているので、87歳にしては立派かもしれない。でもそんな刺激の少ない生活だと、認知症も進むのではないかと思うのだ。

 この前の土曜日の新聞に、とても興味深い記事を見つけた。それは朝日新聞の「be on Saturday」という別紙の中にあったのだが、72歳で認知症の診断を受けた女性の話だった。

 その方は多発梗塞性(血管性)認知症で上手に言葉が出てこない「運動性失語」という状態になり、娘さんや主治医から、10年以上通っている「文章の会」から引退することを勧められた。娘さんとしては、「母親に恥をかかせたくない」という思いがあったからだ。

 でもその方はその会を続けることを望み、周りの方にも事情を理解してもらい、その後8年間も会に参加し続けた。そして言葉を失い床に臥せる半年前の受診で、主治医の方に娘さんがパソコンで代筆した手紙を見せた。

 「一生学び続けたいと思った私を戦争が奪った。でも、私は病気になっても死ぬまで学び続けようと思う。言葉は出なく、字が書けない。それでも私のこころは鮮やかに学ぶことを欲しながら生きる。私はこうして、確かに今、生きている。」

 人間誰しも認知症になりたくないと思っている。でもそれはどれほど元気な人でも、可能性はあるのだ。若いころとても刺激を受けた作家、桐島洋子さんが認知症を患っていると聞いたときは、本当にショックだった。あれほど知的で刺激的な人生を歩んできた人でも、認知症になるのだと。
 

 母を見ながら、いつも将来の自分に不安を感じている。自分の中から、学びたいという気持ちや好奇心がなくなってしまったらどうしよう、そんな不安が押し寄せてくる。でもこの記事を読んで、とても勇気づけられた。

スマホに1年前の思い出と出てきた
チェンマイで撮った写真
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映画「百花」を見て考える

 久しぶりに一人ランチ、一人映画に行って来た。公開される前から気になっていたが、認知症の母と息子の話ということで、ちょっと今の私に重いかも・・・と躊躇していたが、先日「サンセバスチャン国際映画祭」で川村元気監督が最優秀監督賞を受賞されたとのことで、やはり見に行こうと決めた。

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 息子がまだ20代後半くらいの設定なので、母親はおそらくまだ60歳前後。でも若年性アルツハイマーになり、急激に病気が進行してしまう。

 母親を施設に預けた後、息子が家の中を片付ける。台所には、卵パックが何個もあり、冷蔵庫の中にも卵パックがあり、マヨネーズやケチャップが何本か入っている。息子はそれをどんどんゴミ袋に放り込んでいく。

 私の母はまだそこまで認知症が進行しているわけではないが、冷蔵庫の中身をゴミ袋に入れ続けたことを思い出して、見ているのがつらくなった。

 母親の寝室を片付けていた時、息子はある手帳を見つける。それは、母親が息子を捨てて疾走した時のものだった。詳しくは語られていないが、それは数か月以上にわたる期間で、阪神大震災がきっかけで母親は息子の元に戻ったように描かれていた。

 息子はその時のつらさや苦しさをはっきり覚えている。でも母親はそんな記憶をすっかり失っている。でも「半分の花火が見たい」と言う。

 お嫁さんが調べてくれた「半分の花火」が見える場所に母親を連れていった日、最初は仲良く花火を見ていたのに、目を離したすきにいなくなり、見つけたあと、息子に対して「あなたは誰ですか」という。

 夫の母も、寝たきりになって施設に入ってすぐに私のことは忘れてしまった。娘たちのことも、長女の名前には反応するのに、次女の名前はわからないようだった。そしてしばらくして、夫のこともわからなくなり、自分から言葉を発することがなくなった。

 実は母がおかしいと感じたのは、もう8年ほど前だ。その頃から、物忘れがひどくなり、「物忘れ外来」がある病院へ連れていった。今もそこに通っているのだが、前回のお医者さんの話では、「認知症テスト」もそれほど悪くはなっておらず、短期記憶の欠如は、年齢もあって仕方のない事かもしれないとのことだった。

 でも8年前、最初に母の異変に気付いた時、私は長女に電話をして泣いてしまった。「いつかおばあちゃんが、私のことを忘れる日が来るんかな」と。今日の映画を見て、その日のことを思い出した。

 8年経っても母は私たちのことを忘れていない。毎日の暮らしも一人でこなしている。長女から「無理に片付けようとして、おばあちゃんを責めるようになるのは良くない」と叱られて、実家の片付けもペースダウンした。無理に毎週行くのではなく、私が必要な時と、どこかへ遊びに行くときだけでいいかと思っている。

 映画を見ながら、母のことだけでなく自分の将来についても考えた。この映画の母親は私と同世代で身につまされた。いつか何もかも忘れてしまう日が来るのだろうか。友人たちも家族もわからなくなってしまう日が来るのだろうか。

 父は90歳まで、記憶ははっきりしていたようだ。耳が遠くなり会話はしづらくなったが、私が最後に会った時も、頭はしっかりしているなと思った。

 この超高齢化社会で100歳近くまで生きる人も多いだろう。自分がいつまで生きられるのかわからないが、身体が動かなくなることより心を失う方が怖い。まあ今考えても仕方のないことだ。

 映画の前の一人ランチはイオンモールの中の「カプリチョーザ」。いろいろレストランが入っているので悩んだが、ここのランチメニューのライスコロッケが目についた。ここのランチはコスパが高く、スパゲティを選んでも、サラダ、スープ、ドリンクバイキングがついてくる。

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 お皿が来て、予想外の大きさにびっくり。しかも中にチーズが詰まっていて、かなりのボリュームだった。これで税込み1090円なのだが、なんとシネマ割引10%というのもあり、映画のチケットを見せると981円になった。

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 これで食後のコーヒーまで飲めるのだからコスパが高すぎる!


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