今日のタイトルは、PCで変換されるから漢字だが、実は書きなさいと言われたら自信はない。本当に日本語教師をしていたのかと言われそうだが、外国人へ日本語を教えるのに、難しい書く必要はあまりないのだ。実際4年弱しか教えておらず経験も少ないので、日本語教育についての話題はほとんど書いたことはない。でもひとつ、日常生活の中でなんとなく疑問に思ったことを書いてみたい。
ほとんどの学生たちが頭を悩ませるのものとして、敬語が一番にあげられるかもしれない。日本語の敬語は、外国人の日本語学習者だけではなく、日本人にも使い方は難しい。私自身も無意識に使ってきたが、実際教えるようになると、誤用に気づくこともある。
敬語には、尊敬語と謙譲(けんじょう)語と言う種類がある。学生たちに説明するときは、尊敬語は「相手を一段上に上がってもらう」とか「持ち上げる」表現と教えている。謙譲語は、「自分が一段下がる」とか「下の立場にする」表現と説明する。
タイ語の敬語は尊敬語にあたるものとして、国王や王族、僧に使う特別な言葉がある。タイ語を勉強している人間にとって、これはこれで大変だ。王様に使われる単語は以上に長いことが多い。タイ人は覚えているのだろうかと思い学生に聞いたことがあるが、聞いて理解はできるが、間違えずに使う自信がないと言っていた。
一方、謙譲語にあたる表現はないように思う。(ただ私もまだまだ学習途中のため、まちがっていたら、どうぞご指摘ください)そのため、学生には謙譲語がイメージしにくいのだ。そして外国人はルール通りに敬語を作るので、「お(ご)+動詞+なります」(尊敬語)と「お(ご)+動詞+します」(謙譲語)の区別が難しい。
「いつ日本へお帰りになりますか。」(相手の動作なので尊敬語)
「今日お届けします。」(自分の動作なので謙譲語)
*昨日の例文がコピペミスもあり間違えていましたので訂正しました
こんな授業のようなことを書くつもりはなかった(苦笑)。それよりも日本人が使う表現に疑問を感じたことを書きたかったのだ。
以下の表現を聞いて、どう思われるだろうか。
「私とは違い皆さんは、充分な経験をお持ちのかたばかりですから・・・」
「つまらないものですが、よろしければどうぞ。」
会話で聞く場合と、文章で読むのでは、かなり印象が違う。どちらも謙遜表現であると思うが、私は上の文は、嫌味に聞こえるし、下の文は、「つまらないなら、いらない」と突っ込みそうだ。
手土産を「つまらないものですが」と渡すのは、もう昭和の文化かもしれない。平成生まれの娘は聞いたことがないと言う。私だって言った記憶がない。つまり謙遜表現というものは、消えつつあるのではないかと思ったのだ。そして使い方によっては、相手に嫌味を言っているように聞こえることもある。もう何でもストレートに表現する世の中になっているのかなあと思う。
ただ日本には「一を聞いて十を知る」とか「忖度」とか、はっきり口に出さないことを美徳とする文化があるので、謙遜表現も完全に消えてなくなることはないと思う。でも私のように思ったことをすぐ口に出してしまう人間にとって、謙遜表現は難しい。
規制前にメモリアルブリッジからチャオプラヤー川を眺めて

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