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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

GFC奥琵琶湖

母の入れ歯騒動

 今回の奥琵琶湖へのドライブ旅行は、叔母がかなり母の話し相手をしてくれたおかげで、それほどイライラすることもなく穏やかに過ごせました。それでも、もう何回も聞いている祖父の自慢話(母は30代で父を亡くしているので、ファザコンのケがあると思っています)は、もう返事の仕様がないんですよね。叔母は結婚する前なので祖父を知らず、私も小学校に入ったときはすでに病床にいて、ほとんど思い出がないので、どれほど祖父が偉大だったかと言われても、「あーそうですか」と他人事です。

 二日目は9時半頃までメジャーリーグの試合を見て(1イニング目の連続奪三振、その後のホームランという大谷の活躍!)、私にとってはいつもどおりの奥比叡ドライブウェイを走り、長浜の手前の道の駅で買い物をして、またお気に入りのところでランチを食べました。

いつもの福島屋さん 子持ち鮎の昼定食1200円
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 そして、ゆっくりと琵琶湖の西を走り、高島市の道の駅に寄り、湖西道路、高速を使って大阪市内の叔母たちの家まで送りました。その後また母の家に戻り、そこで買ってきたうなぎ弁当を半分ずつ分け、私は笹ずしも2個食べ、自宅に戻りました。

 ちょっと物足りなかったので、家で冷蔵庫に残っていた野菜スープを食べ、さあブログを書こうかとPCに向かったとたん母から携帯に電話が入りました。

 「私、あそこ(奥琵琶湖GFC)に、入れ歯忘れてきたわ。お湯のみに水と一緒に入れて、冷蔵庫の上に置いてきた」とかなり具体的に説明するのです。
「今さっきGFCに電話してんけど、折り返しかけるって言ったのに、かかってこないやけど。」
「私がもう1度かけてみるわ。でももう遅いから、お母さんには明日かけなおすね。」

 そしてGFCにかけると、ちゃんとフロントの男性が応対してくれて、「掃除の者は、何も言ってませんでした。もう帰ったので、明日確認してからお電話しようと思っていたんですが」との返事。

 そのフロントの方と話しながら、私はかなり冷静に思い出してきて、少なくともテーブルの上にはなかったし、何よりも、お昼の鮎定食も、帰宅したあとのうなぎご飯も、母は何も言わずにぺろりと食べていた姿が思い浮かびました。そう、もし入れ歯が入っていなかったら、「あっ私入れ歯をいれてない」と言うはずなんですよ。

 翌朝、GFCからは丁寧に、「もう一度探しましたが、ありませんでした」とお電話を頂き、「多分母の思い違いだと思います」と返事しておきました。その後すぐに母に電話をして「入れ歯あった?」と聞くと、また「あそこに忘れてきた」といいます。

 でも今回は、私も怒らず優しく「お母さん、鮎定食食べたよね。家でうなぎご飯も一緒に食べたよね。その時何も言ってなかったから、ちゃんと食べられたよね。」
「いつもと違うところにうっかり置いてると思うから、ゆっくり探してみて」と電話を切りました。

 そして夕方、母から「見つかった」という電話がありました。「笹ずし食べようと思ったら、そのパックの上に紙で包んだ入れ歯があってん」
もう何をしているやら(*´Д`*)

 タイから帰って3年、母は確実に老いて、認知能力や記憶力も弱ってきています。でも1月には90歳になる母が、まだ一人で食事を作り、洗濯し、入浴も一人でできるのだから十分だと思います。とにかく私は、母ではなく、90歳の知り合いのおばあちゃんと思えば(実際には難しいんですが)、もっと優しくなれるので、気持ちを切り替えなくてはと日々感じています。

道の駅であったかぼちゃ ハロウィンが近いためでしょうね
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叔父を偲びながらの一泊旅行

今回ハードスケジュールで奥琵琶湖へ行ったのは理由がありました。それは、今年5月末に3年前に肺がんステージ3とわかった叔父が亡くなり、その時に叔母といとこと約束をしたためです。

 叔父は私がタイから帰ってまもなく肺がんが見つかり、抗癌剤や放射線治療を受けていました。その時に私も肺がんだったことを伝え、ステージ3でも乗り越える人もいるからと励まして、叔父も快活な様子で頑張るからと言いました。

 昨年5月、肺に胸水が溜まり入院した後に、リハビリ中だった叔父を誘い、越前までドライブ旅行をしました。その時は本当に元気で、敦賀の市場で新鮮な魚介を買い、夜は手料理をふるまってくれたのです(キッチン付きのログハウスに泊まったので)そして、また秋か次の春には一緒に行こうと約束しました。

 叔父が一泊で出かけたのはそれが最後になったようです。年明けから随分元気が亡くなり、入院し、4月末には本人の希望で自宅に帰り、叔母が最後まで看ることになったと電話がありました。そしてGW中にお見舞いに行ったのが、叔父と会った最後になりました。

奥琵琶湖GFCレストランの懐石コース
前菜5種
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 この前、「がんで死にたい」という本のことを書きましたが、実は叔父のことも頭にありました。叔父は病気がわかって3年弱ですが、2年ほどはなんとか元気に過ごし、最後のときも自分で選び、自宅で亡くなりました。私たち家族もGW中に会いに行けたし、滋賀県に住む娘夫婦も、その翌週に会いに行きました。母は両方についていきました。

 たぶん叔父が会いたいと思う人は、全員会えたのだと思います。そして叔母や息子、娘にもある程度言いたいことは言ったのだと思います。旅行中に少しそんな話をしたら、まだ40代のいとこでさえ、「死ぬならがんがいい」と言いました。

お刺身(しまあじ、タイ、マグロ)
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焼きサンマにおろした赤大根や薬味
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 叔父夫婦といとこは、私がオーストラリアに留学中に遊びに来てくれて、バンコクにも夫婦で来てくれました。叔母とは、ベトナムに一緒に行ったこともあります。母の弟と言っても、母と一回り年が離れているので、私とも一回りで、ずっとお兄ちゃんと呼んできました。

 長男のいとこは、私が高校、大学時代に電車が大好きな小学生だったので、よく電車を乗りに出かけました。妹のいとこは、私がすでにバックパッカーとして旅行しまくっていたので、それほど一緒に遊んでもらった記憶はないと言われました。

蓮根饅頭
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 叔父は完全リタイヤしてから料理にハマり、遊びに行くと、いつもプロ並みの料理をご馳走してくれました。スマホには、叔父の料理の写真がたくさん残っています。そして叔父夫婦は、私達兄弟が家を出たあと、ずっとお正月に車で母を初詣に連れて行ってくれました。

 そんな叔父夫婦なので、母にとっては一番親しい家族であり、私にとっても一番親しい親戚でした。

ヒレステーキ
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 今回の旅行は、母が「お香典とか受け取ってもらえなかったし、御弔いも兼ねて、私が全部出すから」とのことで、叔母といとこを招待することにしたのです。もちろんドライバー兼ガイドの私も出してもらいましたが(^∀^)

はもシャブ
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 「叔父を偲んで」とタイトルにしましたが、どちらかといえば「母のおしゃべりにつきあってもらう」ことが目的になりました。1日目、ハイテンションの母は、叔母相手にずっと話しまくり、お昼のランチコースも、この写真の夕食も、私達と同じだけ食べました。ただ、かなりお腹いっぱいになり、ご飯は食べられないと思ったら、レストランの方が翌朝にとおにぎりにしてくださいました。

でもデザートは食べました
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 叔母が根気よく母の話を聞いてくれたおかげで、私もそれほどイライラすることもなく2日間を過ごしました。叔父の思い出話もたくさんできて、母も本当にうれしそうでした。

 という理由でスケジュールを強行したのですが、さすがに疲れたようで、昨日昼過ぎに気づくと微熱があり(37.7度)、早めに夕食を食べ、7時半頃、パラセタモールを1錠飲んで寝ました。でも11時半頃目が覚めて、少し寝付けなかったので、また1錠飲んで寝ました。日頃あまり薬は飲まないので、睡眠導入剤代わりになるんだとびっくりですが、今朝はすっかり元気になりました。

 天国から叔父が、私達4人を見て、よく食べるなあと笑っていると思います。


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